「東北から関西へ。一艘の舟が流れ着く」 それはある新聞の記事だった。東北。津波に攫われた家。父の形見の舟も波に攫われる。舟釣りをして遊んだ記憶は失われ、故郷の海すら喪う。街が。工場が。防波堤が。磯のすえた臭い。消えない喉の痛み。一斉に飛び立つカモメ。街中で大量に舞う、その異様さ。遠く聞こえるカラスの鳴き声。 「いろいろと本当にありがとうございました。本当に感謝です。早く復興できるようがんばります」 立ち話の途中急に泣き出した市民病院の師長。県内での温度差。避難所格差。野戦病院。物資不足。尿路感染。津波肺炎。被災した援助者の2週間後の空白(2週間が経過し気力体力ともに限界に)。 「また漁に出られて魚とれたら、おめえに送ってやっかっな」 足浴を始めた途端饒舌になった石巻の漁師。情報の共有。現地スタッフとの連携。人は変われど変わらぬ体制作り。生活を取り戻すための支援。 「私達は現地を離れてしまいましたが、やってきた事は今に繋がっています」 団体のリーダーとして助け合った相棒。状況の良くなる兆しが見えてきたところで離れなければならない悔しさ。ようやく胸のうちを開いてくれた人達に別れを告げる辛さ。自分だけ安全な場所に帰るという心苦しさ。そんな思いを抱えていたので、陸の孤島だったあの避難所が福祉避難所へ格上げになり行政の管轄下に置かれるということは嬉しい報せだった。 「そこに居るべくして居たんだね」 ぼろぼろの心と身体を引きずって帰る途中。東京で張さんが云った言葉。ただ眠るだけの来客に関わらず、ひたすら運転をしてくれたダイさん。 「『どうやる』かではなく、『なぜやる』のかと自分に問うこと」 旅が終わる。変わらないもの(土地も人も)は何もない。それならばと始めた旅。47都道府県。知らない街の知らない街角に。知らない街の知らない店に。知らない街の知らない祭りに。それは土地の暮らしと人の営み。 「ここ(避難所)を出られるならば、どこで暮らしても構わない」 「やっぱり生まれ育った場所だから離れたくはない」 そして新聞の切り抜き。関西。舟は津軽海峡を越え南へ。津波から逃れるように。いつか故郷へ帰るために。舟は沈まず、魂は行先を過たなかった。遠く離れた地で再び父に出会う。黙々と海を進んで来た舟に。帰ろう。故郷の海へ。父の舟を連れて。 「デラシネ」 それは沖縄(今帰仁のヤガンナへ至る海の道に)、 それは鹿児島(指宿の湿った空気に)、それは宮崎(高千穂の濃い夜の闇に)、それは熊本(水俣の蒼すぎる海に)、それは長崎(軍艦島に降る冷たい雨に)、それは佐賀(有明湾の対岸に見える灯に)、それは大分(別府の強い硫黄の香りに)、それは福岡(中州の屋台から洩れる笑い声に)、それは高知(四万十川の畔で群舞する蜻蛉に)、それは愛媛(道後温泉で火照った身体に)、それは香川(瀬戸内海を網のように縫う航路に)、それは徳島(美馬の山々に漂う清冽な香気に)、それは山口(秋吉台を浸透する地下水系に)、それは広島(ドームの停止した時間に)、それは島根(津和野の教会に差し込む光に)、それは鳥取(砂丘の頭上を行き来するリフトに)、それは岡山(奈義町の360°の枯山水に)、それは兵庫(三宮の港に降り下りる夜に)、それは大阪(大阪駅の地下の串カツ屋の匂いに)、それは京都(伏見稲荷の延々続く鳥居に)、それは…、 それは東京(新宿の早朝の蒼すぎる空)、 それは宮城(石巻の街中を飛ぶカモメ)、 それは、 それは。
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