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可能性について
2010年01月01日(金)




 母に同性愛者であることを告げる。結婚式とか孫だとかの素朴な希望を打ち砕く。混乱した母を居心地の悪い空気に置き捨てたまま家を後にする。私はただ悔しかった。なにものにも傷付けられまいという思い上がりが強かったため、しばらく認めることができなかったが、確かに私は自尊心を傷付けられたのだった。





 病院のベッドの上であまりの痛みに泣きながら懇願していたのは他でもない私だ。そういう側面もあるのだと一旦は了承し納得したと思ったけれど、消耗して自制が止むとやはり受け容れがたいという思いが強くなる。痛みは私の中の何かを打ち砕いた。それは身の丈に合っていなかったから打ち砕かれただけなのに、認めるのがただただ口惜しくて統合を躊躇い分裂しそうになる。





 決して認めたくないもの。受け容れがたいもの。加齢とともに生き易くなるものの、硬質なものの存在もまだ感じられる。そこになにかが当たってカチンと音の鳴るとき、不意に年齢を遡ったような気分になる。加齢とともに変えがたくなってくるものもある。その萌芽もそろそろ感じられる。しかし、可能性はいつも傍らにあるのだ。固いストレッチャーの上でもんどりうつ私の中に。泣きはらして目を赤く腫らす母の中に。












過日   後日