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090506
2009年05月06日(水)




 入店するとまず死角を探す。精神の不調に呼応するかのように悪癖が頻出する。誰にも見られることのないように。誰にも咎められることのないように。消耗して視線を跳ね返す力が残っていない。目を上げればそこに居心地の良い場所があるのに面を上げることができない。うつむいて奥歯を噛み締める。柔らかさが欲しいなあ。笑われても笑い返せる柔らかさが。





 ダブルベッドがあからさまだ、とTは不機嫌になる。不快をあらわにして悪びれないさまが羨ましく、疎ましくもあった。親しくなるほどに寄り添い近付くTと、距離を置いて本心を遠ざけようとする僕はまるで決して追いつくことのない持久走のようだ。それはTに限ったことではないと思い至る。近付き過ぎ、甘えやあけすけさが見え隠れすると興味の方向性を失ってしまう。そこに留まっていれば良いものを、なぜそれ以上近付こうとする?





 『幾重もの意識が、おれらの邪魔をしてるんだ。誰かが見たら、この抱
 擁を、果てしなく無様なものだと思うのに違いない。だって、そう感じ
 るだろう?噴き出すような類の光景。目を閉じて、意識を閉じて、下界
 へ向かって唾を吐き捨てるなんてことをせず、ただ、こうしていたいけ
 れど、どうしてもそれは叶わないんだ』





 中州の屋台で斜向かいに座った連れ合いと親しくなる。ギアの変速操作がまだぎこちなく、ためつすがめつしながら調子を合わせる。運転する主体と、助手席で操作と景観を眺める客体が本当の意味で和解することは決してない。旅の最中であるという解放感と、酩酊が、どうにか運転席と助手席の仲立ちをする。





 よく、人見知りをしないねと言われるが(この歳で人見知りもないものだが)、それは隠し、遠ざけようとする力の表れに過ぎない。時折、自分の言葉は壁のようだと感じる。互いのアウトラインに沿ってせっせと積み上げられてゆく壁。親しくなれそうだなと思って近寄るとコチンとぶつかる壁。安全だがそこは冷えきっている。隙間風を防ごうと、益々緻密に壁を作り、保温しようと上着を何枚も羽織る。着膨れして肥大した自意識は、もう軽やかに壁を越えられない。


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テアトルタイムズスクエアで京田知己「交響詩篇エウレカセブン」
TOHOシネマズでダニー・ボイル「スラムドッグ$ミリオネア」

無人島プロダクションで「朝海陽子 個展『22932』」


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小村小芥子「うさぎのダンス」
三島由紀夫「暁の寺 -豊饒の海・第三巻-」

読了。





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