【読書記録】新海誠「小説・秒速5センチメートル」 |
私は映画・小説の順なので、映画を見てから小説をお勧めします。映画・小説で読むと、「このイメージは彼が見ていたイメージの映像化だったんだ〜」とか、気持ちも小さな動きとかが小説で補えて、あそこでの彼女は何を思った?何を感じた?弱々しい思いが確信に変わり、そしてそこに背景事情が加わることで、違った見解が生まれるというのがとても面白いなと感じました。小説は、心の機微やシーンの状況説明、そしてバックグラウンドエピソードを補えるよさがあると感じたのですが、やはり新海氏はあの絵、あの画面構成、あの色の表現がすばらしいと思うので、ぜひ映像を見て欲しいと強く思いました。言い回しや文体はまんま新海氏で和むけれど、そこに絵はなくて、うごめくものがない。小説から入ったら、きっと映像美におののくのではないだろうかと思いました。それほどマッチしている。そして復唱したくなる。笑
ちなみに、作中で映画と変えた点があるとありましたが、私はやっぱり小説ではこっちのほうがいいだろうし、映像だったら話の起伏的にもあっちのほうがいいだろうなと感じました。面白いですね〜。
それにしても。高貴君はアニメーションを見た時点では、”王子様的要素満載”で”ぼんやりした感じ”の”ひたすら優しい”男の子というイメージで、それは成長した後も明里を好きで忘れられなくて引きずっている青年という程度だったのですが、文章で読むと結構きりきりした人生を送ってきたんだなぁと感じました。優しい人とコスモナウトの彼女も同じように表現し、水野さんもそういうことを書いていたけれど、結局のところそれは彼の表面を覆う一見したやさしさであって、実際のところはいつも心はここになくて、ほんのちょっと遠くに感じさせてしまう。また、それを自分ではあまり意識して飛ばしているわけではない。だからこそ彼を見てきた彼女達はそれに気がついて、彼の元を去る。そういうことですよね…? 彼女の言動のなぜに思い至らないことを考えても、職場でのことを考えても、自分を自分で追い詰めているような感じさえして、ただの優しい人には見えなかった高貴君。本当は小説のように生々しい人にしたかったのかなと思いました。だって、本気で付き合った彼女へ本気を感じたのは小説の一文で、それがあるからあの流れになるだろうし、私は映画で三部に突然水野さんが登場したことに混乱したので。(本気で付き合っていた女性がいた、というのはナウトの流れからしても驚きでした…)NO.22■p175/メディアファクトリー/07/11
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2009年09月07日(月)
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