| 2004年03月31日(水) |
メディアはメッセージ。 |
マクルーハンの有名な言葉です。 メディアはそれ自体がすでにメッセージとしての性格を有している。 そのメディアを選んだ時点で、そこに載せられるメッセージはそのメディア特有の性格が付与される。 そんな感じの意味です。
メッセージの意味を構成する要素は多岐に渡ります。 まず、メッセージを載せるメディア。 そのメディアに合わせてメッセージをエンコード。 メッセージの受け手、そしてデコード。 メッセージがやり取りされたコンテクスト。 様々な要因が関連し、メッセージの意味は安定しません。
同じメッセージでも文脈が違えば、意味は変わります。 同じメッセージでも相手によって解釈が違えば、意味は変わります。 同じメッセージでも手段が違えば、意味は変わります。 なので、送り手から発せられたメッセージは常に送り手とは無関係に彷徨い、誤配されてしまう可能性を孕んでいるのです。 これをデリダは「エクリチュール」と呼んだ。 僕はそう認識しています。
言葉はメッセージを伝えるための一つの手段ですが、「言葉」とはかなり大きな括りです。 例えば、僕が今書いている小説でも、長編と短編ではかなり語調が異なります。 なので、全く同じ登場人物で同じ内容の小説であっても、与える印象はかなり異なります。 現時点で僕は、小説でも三種類くらい。他にも日記、科学論文などの数種類の語調を持っています。そして、それを意識して使い分ける事が出来るようになってきました。
メッセージとは、たとえ同じ内容であっても、選ぶメディアによってその意味が大きく変わる可能性を持っています。 僕が同人サークルの名称を「エクリチュール」としたのは、その可能性に希望を抱いているからです。 閉塞しかねないオタク産業から、メディアの新たな地平を切り開く事が出来れば。 そんな希望を込めて。
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