今回は語り系日記を久しぶりに。ちょっと触発される事があったので。
僕は誤解されやすいかもしれない。とりあえず否定してみるタイプなのは確かだが、否定したからといって嫌いなわけではない。それに、本当に判断の結果として否定する事は少ない。
僕が良く出す例に、高校の物理の先生が言っていたシマウマの話がある。シマウマはなぜシマなのか?それはシマウマであることを主張するためだ。ライオンはなぜライオンの形をしているか?それはライオンであることを主張するためだ。自然界では喰うか喰われるか。良く話をしてから他人を判断する、なんて余裕はない。とりあえず外見で敵か見方かを判断しなければならない。だから、毒をもった昆虫は毒々しい色をしている。
それにならって僕もとりあえず他人を外見、見えやすい部分で判断する。で、それでとりあえず「どうせ**だろう?」と言ってみるわけだ。どうもこの「どうせ」という言葉が否定的に聞こえるらしい。僕にとって他人を「どうせ**だろう?」と評価するのは属性に関して判断を下しているだけなのだ。そこには良い悪いの価値判断は含まれていない。
僕は性質、属性、現実といった事の判断と良い悪いという価値判断を別個に行う。それは客観と主観と言い換えてもかまわない。客観的判断を行い、その判断に対する感情から主観的判断を行う。
訂正ついでにもう一ついうと、「どうせ**だろう?」には非オリジナル批判が含まれている。つまり、分類可能であることは既知既存のありふれた存在であることだ。それに"無自覚"であることの批判である。ただし、批判は否定ではないし、価値判断とも直結しない。オリジナルでなければ価値が無いなどとは言わない。
ということで、僕が否定する、ダメだというのは性質、属性、現実などがそれの属する状況の中で大した意味や哲学を含んでいないときになる。あるいは、大して意味や価値のない事に無自覚である場合にも「ダメ」のレッテルを貼る。
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