| 2002年06月21日(金) |
昨日の日記〜その1、ちょっと真面目編〜 |
神様のなさる事には、絶対意味がある。
私は、別にクリスチャンではありませんが
(母はそうでしたけどね)
自分が苦しい時、辛い時には、自分にそう言い聞かせてきました。
絶対に、今、この辛い事が幸せに関係してくるんだって。
今、辛い状態にあるのには、絶対絶対意味があるんだって。
「神様は居ました」
チャーリーは復活記者会見でそう言っていましたね
でも、出てきたチャーリーを見て
私は「それってホントにっ?!」って思ってしまいました。
だって、どうみてもあれは「復活」には程遠い…
細い衣装の下ですら泳ぐ細い細い足、おぼつかない足取り
大粒の汗、むくんだ顔
それら全てが総合して「痛々しい」
こんな状態でしか舞台に立てなくてもっ?
それでも神様って居るって言えるのっ?!
でも、帰ってきて、いろいろ考えて
やっぱり神様って居るのかなって思いました。
たぶん、チャーリーにはいつもより
何倍にも、何十倍にも、組子の気持ちや、ファンの気持ちが嬉しく感じられると思う
肉体的な苦痛という犠牲を払った分以上の
精神的な喜び、感謝、幸せ…
そういうものを今、チャーリーは手にしているのだろうな。
たった1作のトップ生活の中の、さらに短いたった「1週間」
その中に、どれだけの濃い気持ちがこめられているか。
だから、神様のなさることにはいつも絶対意味がある
やっぱりその考えは捨てずにいようと思いました。
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