**Secret**..miho
狭い心
2006年09月01日(金)
「今日はハイテンションだよ♪♪」
とってもルンルンで大はしゃぎをする
お友達を、いつも密かに羨んでいるよ。

きっと、そういう人たちは、
「しあわせ」なんて特別な事ではなく、
その自覚もなく当たり前のように
人生の日々を楽しめているんだろうなぁ…

私の中からは、もう失われてしまったよ。

私は、病気になってから、不幸のどん底で
手の届かない遠方にある幸せという光を
ただただ虚しく眺めて思い焦がれているだけ。

最近では、敢えて「しあわせ」から
自分を遠ざけようとしちゃうみたい。
私のココロを脅かす事のないように…

「私は、あなたとは異なる種類の人間だから、
同じ視線で私を見ないで欲しい。つまり、それは
私を見下して憐れんでいるという事になるから。」

例え一瞬でも「しあわせ」だと感じられても、
私にとっては、所詮、儚い幻想にすぎなくて、
すぐに単なる偽装だと判明して落胆するだけ。

私にとって、しあわせは絶望をもたらすもの。

嫉妬だとか羨望だとか、とても惨めで醜くて
身を切り裂くほど辛い事だと解っているのに。
僻んでいても本当のしあわせは手に出来ない。

ただ、私は不幸な人間であるという固着観念が
自分の心を支配するようになってしまってから、
しあわせに対する受容体が撲滅されたみたい。
自分の中で偏った抑圧力が発達してしまったの。

そして、しあわせの意味が解らなくなった。

それ以来、自分からしあわせになろうとするほど、
それは私にとって羽目を外した行為である事になり、
いつも最終的に自分の身に降り懸ってくるものは
自己嫌悪による不幸そのものの他の何物でもない。

私は、しあわせの似合わない人間なんだ。

不幸か幸福かだなんて、自分の捉え方にすぎないけれど、
あまりにも自分の中に不幸が根強く潜在するようになったため
しあわせという意義が排他的に浮き出てしまったんだね。

きっと…
自分が位置する幸福度のレベルが低下して
ものすごく敏感に感じるようになったんだ。
マイナスの方向にね。

ほんの些細な出来事でもしあわせに感じる。
それだけならまだ十分救い様があるものの、
私の場合は、捻くれて歪んでしまったから、
その真意は、もっと深刻なものとして現われた。

もう、どんな事に対しても、容易に楽には
「しあわせ」だと感じられなくなってしまった。

もしも、今、本当にしあわせな出来事に出くわしても、
心から「しあわせ」だと思えるかどうか自信がないよ…
それが本当に「しあわせ」なのかという価値判断が狂って、
しあわせに対して喜んだり笑ったりできないかもしれない。

そして、他人の幸福からも目を逸らしてしまい、
真っ直ぐに受け入れられなくなってしまった。
結局、自らしあわせから逃げてしまっているの。

人並みに生きられなくなっただけでなく、
自分の人生が生きているだけ無駄で
無価値で不幸に思えて仕方がないよ…

とても狭い心になってしまった事が哀しいよ…

自分の事が大嫌いになっていく事が哀しいよ…


「私らしく居られること」
それが、わたしのしあわせなんだって、
ちゃんと解っているのに…




m a i l



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