♡慰めること♡ |
2004年12月24日(金) |
以前は、誰かを慰める事の方が多かったけれど、 今では、逆に慰められる事の方が多くなったような気がする。 (「慰める」という言葉は、何だか高ぶっているような気もするけど…) それは、少しずつ平気で弱音を吐けるようになってきたから… それでも、相変わらず強がりではあるんだけどね。。
でも、それって、ある意味では、 慰められる側の気持ちを理解する事ができるようになった っていう事でもあるよね。
以前は、相手の気持ちに同調していながらも、 やっぱり、最後には決まり文句みたいな言葉しか 言えずにいたよ。無力な自分をカバーするように… 確かな保証を持っているとは限らないのにね。 私は、つい誰かを慰める時に「私なんて…」って、 自分を卑下して相手を持ち上げようとしてしまいがちだけど…
「大丈夫だよ。」 「前向きでいこう。」 「元気を出して。」 「応援しているよ。」
そのように言えば、相手も少しばかりは安心してくれて、 「理解してもらえた」気持ちになってくれるかなって… 誰だって、良心があれば、落ち込んでいる人に対して、 無視したり、非難したり、いい加減な事を言ったり、 無責任な事なんてできないもんね。 でも、それって、すごくおこがましい事だよね**
でも、本当は、誰かを慰めるという事は、 相手を「理解する」事じゃなくて、 相手の「話を聞く」事なんだと思う。 いかに、相手のSOSを受け止める事ができるか…それに、 一人の人間を理解する事なんて、絶対に不可能だと思うから。 もしもそれができたら、人間、単純すぎて面白くないし、 そもそも苦悩する必要もないでしょ。
そうは言っても、相手を「理解しようとする」姿勢は、 対人関係において、常に不可欠な要素だと思う。 それがあって初めて、人と人との信頼関係も築く事ができるもんね。 第一、どうでも良い相手とは、親しくなんてしないだろうし。
それで、悲しみや苦しみなどの色々な心の傷を抱えている人たちは、 相手に自分の事を完全に「理解してもらいたい」だなんて、 そこまでは追求していないと思うんだ。それは特別なケースだよね。 それでも「大丈夫だよ。」などという気休め程度の言葉で、 少しでもホッとできるのは、きっと、相手に自分の素直な気持ちを 聞いてもらえて、一人で抱え込んでいた心の重荷が軽くなった という事と、相手自身からの思い遣りや優しさなどの温もりを 感じ取る事ができたからなんだろうなぁって…ただそれだけの事。 下手に気休めを並べていくよりも温かく接する事の方が大切だよね。
だから、相手からの具体的な言葉がどうとかではなく、 もっと抽象的な相手の反応や存在だけでも報われるのだと思う。 人間の心理って、言葉では表せないほど複雑だからね。
今の私には、自分の素直な気持ちを打ち明けられる人を 指折り数える事の方が困難なのかもしれないけどね… それでも、誰に話しても安心を得られるほど単純でもないよ。
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