白馬鹿日記

2004年06月09日(水) 人としての皇太子

皇太子殿下の発言問題、ここを先途とスキャンダルぶちまけまくりかと思ったら我慢をなすったようですな。そりゃまあ、いいトシの大人がマスコミ相手に告げ口するのも格好の良いものではないし、そも我慢が美徳である家柄?の筆頭なわけでしょうから公衆の面前で憂さ晴らしするワケにもいかんのでしょう。我慢に我慢をかさねられてついにお怒りになった雅子様がカッター片手に東宮侍従長を呼び出す、などという事はまずないだろうが、夫として静観するに耐えない状況にまで追い詰められていたとしたらやはりただ事ではないのだろう。

なぜンな事を考えたかというと、珍しく皇室に人間性を感じたからだ。多くの部分が謎に包まれ我々の眼に触れる事の少ない閉社会であり、同じ日本国内とは思えない、不可思議にも思える習慣や儀式を持っており、それらが威厳や尊厳、神秘性を守っているのだろうが、その反面、良くわからんし知らんからまあど〜でもええか、と感心を持つ機会を失わせている原因にもなっている。実際、皇族の面々の人間性というものを知る術などというものもなく、興味のない人にとっては毎年正月にニコニコしてる一家に過ぎないということになってしまう。

そんな中で今回の一連の発言、何というか、愛を感じたですよ。ニュースキャスターに異例異例を連発されるまでもなく、かなりの決心の要ることだったはず。様式の中に人間性を埋没させられ、歴史や慣例を守ることを最優先と生まれながらに運命づけられているわけであり、もしかしたら周囲からは諌めようとする声などもあったのではないのだろうか。そもそも周りのモンには相談すらできなかったのかもしれない。にもかかわらず、今自分が声を上げねばと行動に踏み切らせたものは、皇族以前に人として、ひとりの夫としての思いだったのだろう。会見の席でのその姿は、私の目にはそう映ったし、皇族方の会見としては初めて、単なる作文の朗読ではなくその中にメッセージを感じた気がする。アツカマシイのは重々承知だが、良くぞ言ったと拍手を送りたい。つまらん事は気にせず、言いたい事はどんどん仰いなされ。

阪神が久しぶりに快勝。藪が良かったというよりは打線が良かったのだろう。今までは打てなかったから勝てなかっただけで、藪はずっと良かったのだ。明日からもこの調子で頼みますぞ。


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うるま [MAIL]

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