2007年11月29日(木) |
ジョージ・ハリスンの命日は英国時間でゆうたら今日やけど、日本時間では明日になる(ややこしい) |
曇り。
11月29日はジョージ・ハリスンの命日。 性格にゆうたら英国時間で11月29日なんやけど 日本時間でゆうたら30日の朝になる訳なんですけどな。
その6年前の12月1日に書いた日記を載せときますわ。 もう削除してあるやつやけど、 ログはとってあるから、それを掲載。
昨日の朝(日本時間)にジョージが亡くなった。 以前からガンに侵されているというのは聞いていましたが ついにといった感じです。 今年は僕の廻りで想い出の人が次々亡くなっています。
ビートルズでは最年少であまり表には出してもらえなかったが その後期には才能を開花させていきました。
"Something"の歌メロや間奏のギターフレーズなどは その集大成といえるものでしょう。
ジョージの作る曲というのは独特のコード進行があり すぐにわかります。
インド音楽をはじめいろいろな音楽を貪欲に 吸収していった成果でしょう。 歌詞の面においても独特の宗教感を持ったものがあります。
彼のスライドギターはメロディアスな素晴らしいものですが エリッククラプトンも「スライドギターのメロディアスな アプローチはジョージから影響を受けている」と 語っていました。
"Give Me Love"の間奏なんかはスライドギターのフレーズ、 トーンなど素晴らしいと思います。 ビートルズの"Free As A Bird"でも披露していました。 僅か5小節ですが心に残るフレーズを演奏していました。
1991年にはクラプトンと共に来日もしました。
何年か前にテレビでやったクラプトンとジョージの インタビュー番組で語っていましたが、 この公演は1974年のアメリカツアーの失敗にこりて あまりライブ活動をしなくなったジョージに クラプトンが勧めたものらしいです。
これでジョージはまたライブ活動をする自信がついた、と 語っていました。
今もレコーディング中でした。何ヶ月か前のインタビューで ジョージは、「僕はもう長くは生きられないけれども このレコーディングだけは済ませたいんだ。」 と語っていましたが、叶いませんでした。
本人も残念だったことでしょう。
ご冥福をお祈りします。
こんな感じで書いとりました。
あっとゆう間の6年ですな。 この2001年の8月に私が日記を書き始めたんですわ。 今と同じように、ほぼ毎日書いてたんですな。
で、2006年の3月に事情により断腸の思いで それまでの日記を全て綺麗さっぱり削除。 また1からやり直して今日に至る。
それでも上に書いたように 6年分のログは全てとってあるから、 復活させた日記もあるんですけどな。
これから何年続くかわからんけど、 書き続けられるだけ書き続けていきますわ。
改めて今後ともよろしくです。
今日16時50分の空。
それでは(^.^)/~~~
P.S. ライブではジョージ役やる事が多いんやけど、 実は一番好きなんはジョン・レノンやったりします m(_ _)m
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