人恋しくて 一人も好きで
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2006年01月24日(火) 全部持ってる。

私が外国文学の翻訳者について意識しはじめたのは、中学生の頃だったと思う。


当時、角川文庫版の『赤毛のアン』シリーズを愛読していたのだが、
なぜか角川ではシリーズ10作品中6作品までしか訳出されていなかったので
残りのシリーズは新潮文庫版で揃えることにしたのだ。


しかし、登場人物の名前や地名などが両シリーズで微妙に異なっていて、
読みながら違和感を覚えたのが最初だったのではないだろうか。
それに、新潮文庫版の翻訳者である村岡花子氏の訳は名訳として名高いかも
しれないけれど、今読み返してみると表現の古さは否めない。


最近は小説家の松本侑子氏が集英社文庫版で訳本を出しているけれど
こちらはまだ2作品しか出版されていないしねぇ。
『赤毛のアン』作品中に煩雑に引用されている詩やシェイクスピアなどの
文学作品の原典に触れている、という点でリファレンス本としてもなかなか。


で、今読んでいるのが講談社文庫版の『赤毛のアン』。
噂によると、この本がアニメ作品の『赤毛のアンの元になったのだとか。
ちょっとあっさりしている? という気がしないでもないけれど、
なかなか読みやすい訳だと思う。


…なんてことを考えていたら、全部の訳者の本を読み返したくなってきた。


……揃えるか? 全文庫の全シリーズ。 (←ばか)



ちなみに初期のアンシリーズ(特に『赤毛のアン』)は、癇癪持ちだったり
男の子を負かして勉強に打ち込んだりとんでもない失敗をしでかすアンに、
従来のヒロインにない資質を見出していて好きなのだが、成長するに従って
アンが分別くさくなってしまうとともに主人公の魅力が薄れてきて残念に思う。
作品が書かれたビクトリア朝時代の限界なのかもしれないけれどね。


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