Sun Set Days
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2002年07月03日(水) 【Fragments】3

【Fragments】3


[Theme:気配 by PICNICAさん]


 Rainy Station


   1


 Rainy Station 夏なのに君は冬服のまま
 Rainy Station いつまでも動かない時の中
 本当に大切なものは何って 教えてくれたのに


 ウォークマンのイヤホンからは、レイジの歌声が聞こえている。フジエダレイジ。ワタシが追いかけている、インディーズのロックバンドSecret Gardenのヴォーカルだ。詩も曲も全部手がけている彼をのことを私は本当に大好きで、彼の歌声はワタシの守り神だなんて傍目にはバカみたいなことだって信じている。
 ワタシは高校1年生で、将来の夢みたいなものはない。毎日はトモダチとのくだらない話とつまらない勉強に費やされていることが多くて、今いる場所から逃げて行きたいだなんてことをどこかでは本気で考えている。トモダチたちとの仲間はずれがどうのというバランスゲームは、心の中ではくだらないと思っていてもそれと決別できるほどワタシは強くはないし、だからときどき、頭を振ってもからからという乾いた音しかしないんじゃないかなと思う。
 レイジのうたは、そんな私のからっぽな内側を満たしてくれる。うつくしいメロディーと、強くてやさしい歌声。お兄ちゃんはどこがいいんだよと言うし、トモダチのなかにはこんなの売れないよと断言する子だっている。けれども、レイジの歌はいつだって私の中に響く。たとえば雑踏の中で、どこかの店先でレイジの歌をかけていたら、ワタシはすぐにそれに気がついて、自分のなかのスイッチが入ってしまうような気すらしている。
 そして、レイジの歌を聴いている間だけ、ワタシは本当のワタシでいることができるような気がしている。あるいは、ワタシがなりたいと思うようなワタシに。


 塾のない日は、いつものように学校帰りに近くの公園に寄って、そこのベンチに腰掛けてレイジの歌を聴いている。その公園は比較的大きくて、随分と静かなところが気に入っている。レベルは高くはないけれど、それでも一応公立の高校へ進学したお祝いに買ってもらった最新型のCDウォークマンには、いつもレイジのCDを入れていて、そこで気が済むまで音楽を聴いているのだ。ワタシはそうやって少しだけ涼しい風の吹いている公園なんかでぼおっとすることが好きなのだけれど、そういうことを言うとトモダチは「変わってんねー」と言う。じゃあ何が変わっていないのだろうと思うのだけれど、そういうことは訊ねたりはしない。それは人間関係に波風をたてることになるからだし、そういう波風は小さなボートであるワタシたちをいとも簡単に揺さぶってしまうからだ。
 もちろん、アタマの中では、もっと大人になったら、いろんなことがうまくいくんじゃないかなと思っている。わずらわしいことから開放されて、あるいは思っていることをうまく口に出さないでいてもそれが自分の存在を否定するような大きくて切実な意味は持っていなくて、たくさんのことを割り切ることができるんじゃないかって。けれど、いまのワタシはまだ全然子供なので、意に沿わないことをひとつ受け容れるたびに、自分っていう存在が削られたり損なわれてしまうような気がしてしまっているのだ。たとえばそれは周囲に話をあわせて思ってもみないことを言っているときがそうだし、本当はその子のことをなんとも思っていないのに、トモダチが無視しているから無視するようなときだ。
 レイジの歌は、そんなふうにして日々損なわれていくワタシを、埋めていってくれる。レイジの歌を聴くたびに、消耗していったヒットポイントのようなものが、回復していくのを感じる。ワタシはレイジには会ったことがないけれど、それでもどこかにワタシのことをちゃんとわかってくれる人がいてくれるのは幸せなことだと、そんなことを思う。
 もちろん、そんなことは一方的な思い込みにしか過ぎないのだけれど、それでも、レイジの歌を聴いているとそんなことを信じることができるのだ。


 レイジの曲の中で一番好きなのは、「Rainy Station」っていう曲だ。Secret Gardenはインディーズでアルバムを2枚出しているけれど、その1枚目の3曲目に入っている。
 ミディアムテンポのやさしい感じのする曲で、歌詞が少し変わっている。
 レイジとおぼしき男の子が、駅のホームで幽霊の女の子と出会って恋に落ちる歌詞なのだ。
 そして最後には、その女の子が消えてしまって終わる。
 とてもやさしくて、せつない感じのする曲だ。
 

「ミツコ、塾の方はどうなの?」
 食卓テーブルの向こう側から、母親がそう訊いてくる。先月から高校生向けの新しい塾に入ったばかりなので、気になっているのだ。今年の春から2流大学に入ったお兄ちゃんは最近サークルやアルバイトで忙しいため夕食の時間には家にいないことが多い。お父さんはもうずっと昔から夕食の時間には家にいることがない。大体22時くらいに帰ってくる。それで、夕食はたいていワタシとお母さんの2人で食べる。ワタシだって、塾のある日は帰りが21時くらいになってしまうから、以前のように20時に夕食をとるのは、週の半分くらいだ。
「普通だよ」
「あなたはやればできるんだから、頑張ってちょうだいよ。ほら、最初が肝心っていうでしょ」
「うん」
 ワタシは本当にやればできるのだろうかと思う。数学の計算は確かに考えれば解けるけれど、見てすぐに答え方がわかるわけじゃないし、国語の問題だってそのときの主人公の気持ちを当てることに意味があるとはどうしても思えない。それに暗記物だって、ただの単語を暗記し続けることにどんな意味があるのだろうと思う。


 自分の部屋に入ると、ミニコンポにCDを入れてヘッドホン越しにレイジの歌を聴く。目を閉じて、メロディーと歌声に耳を傾ける。様々な風景や光景が浮かんでくる。ワタシも、将来レイジに見えているような美しい光景や、やさしくて激しい感情に出会うことができるのだろうかというようなことを思う。ワタシはまだ誰とも付き合ったことがないけれど、いつか歌に歌われているような恋に身を焦がすことができるのだろうか。
 そして、アルバムを一度聴いてから、机に座って塾で出された宿題をやりはじめる。面倒くさいし意味がないと思っていてもとりあえずやってしまうのだから、まったく気が小さいなと思う。
 学校だって、本当に楽しくないわけではないのだ。ただ、すべてが中途半端であるように思えて、その原因が夢や目標のようなもののない自分のせいだと思うと情けなくなるだけなのだ。
 本当に、ワタシはただのちっぽけな高校一年生でしかないのだなと思うと、やりきれなくなる。


 インターネットで「レイジ」と検索するだけで、たくさんのレイジのファンがいることがわかる。ワタシと同じくらいの年代の女の子や男の子たちのなかで、レイジは本当にカリスマみたいだ。
 たくさんの掲示板があって、そこではたくさんの人たちがレイジの歌と出会って、自分がどんなに救われたかというようなことやどんなにSecret Gardenが好きかということを書き連ねている。
 ワタシもいつもそこに書き込みをしようと思うのに、どうしてか手は止まってしまう。
 そういうことに躊躇してしまうのだ。ジイシキカジョウなのだ、たぶん。
 でも、画面の文字の羅列の海をぼんやりと見つめながら、こんなにもたくさんの人たちの気持ちを揺り動かしてしまえるレイジはすごいと本当に思ってしまう。


 インターネットのホームページでは、レイジたちについてたくさんの嘘とも本当ともつかない情報が氾濫している。ライブの情報から、バンドの結成秘話のようなもの。あるいは、それぞれの曲の元エピソードと推測される出来事。あるいはたくさんの、世界中にある街の数みたいに本当にたくさんの感想。
 Secret Gardenは5人組のバンドで、ボーカルのレイジに、ギターのセイ、ベースのタクマにドラムのヨージ、そして唯一の女性でキーボードとコーラスを担当しているカンナからなっている。元々、2つの別々のバンドだったのだけれど、よくあるメンバー交代のいざこざの末に、いまの5人でバンドを組むことになった。カンナはもう一つのバンドでボーカルをしていたから、たまにカンナがボーカルをとっている曲もある。カンナもとても歌がうまい。
 けれども、レイジの歌は別格だ。胸の中の一番柔らかい部分に降ってくる優しい雨を浴びているみたいに、本当に天使か何かなんじゃないかと思う。


 ライブには2度行った。どちらも、本当に苦しくて息ができないかと思うくらいに興奮してしまった。周囲の人たちと一緒に、声が枯れるまで叫んだ。ミカと出合ったのも、最初のライブのときだった。本当に心から感動して涙が出てきて、隣を見ると、隣にいる女の子も泣いていた。そしてワタシたちはどうしてかその日、ずっと手を繋いだままステージの方を見つめていた。ステージでは、レイジが「Strange Girl Friend」を、「Always」を歌っていた。
 ミカはとても奇麗な女の子で、お嬢様学校で有名な女子高に通っていた。ワタシたちはどうしてか意気投合して、その夜はずっとファミリーレストランで語り明かした(家に帰ってからとんでもないくらい怒られた)。それ以来、住んでいる場所が私が千葉側でミカが横浜側だったから頻繁に会うことはできないけれど、メールのやりとりは毎日しているし、トモダチだって思える相手で、それはレイジのライブで出会ったからなのかもしれない。





     2


 From mika
 件名 Rainy Station

 ミツコ!
 すごいニュース。
 さっき学校でネットを見ていたら、Rainy Stationの舞台が○○駅だって書いてあったの。
 今日、一緒にそこに行ってみない?



 そのメールは3時間目の途中に入ってきた。
 窓の外は梅雨時期の陰鬱な雲の下にあったし、英語の先生の話は眠気を誘うのに充分だったから、ワタシは随分と眠たかったのだけれど、そのメールには一瞬で目を覚まされてしまった。ワタシは先生から見えないように携帯の画面をもう一度確認して、次の休み時間にすぐにトイレに行って、個室の中から返信した。


 From ミツコ
 件名 Re:Rainy Station

 すごいね!
 もちろん、行くよ。
 今日学校が終わるのが3時くらいだから、4時過ぎには行けると思う。


 それから、ミカから何度かメールが入り、休み時間のたびにワタシも返信をして、4時半にその駅の西改札口の前で待ち合わせることにした。その駅は、ちょうど、私たちの住んでいる場所の中間辺りにあったのだ。
 5時間目の途中からは雨が降り出した。それすらも、そのときのワタシには「Rainy Station」の場所に行くのにおあつらえ向きなシチェーションだと思えていた。授業が終わると同時に教室を出て、最寄の駅の路線図を見上げながら、どうやってその駅まで向かうことができるのかを確かめた。


 西改札口の前でミカを見つけたときには、2人して両手を重ねてキャーキャー騒いでしまった。
 入場券を買って、中に入る。
 歌詞の中から、それが3番ホームだっていうことはわかっていたから、ワタシたちはゆっくりと3番ホームに下りた。
 そして、黄色と水色が交互に並ぶ椅子に座って、手を繋いで(ワタシたちは、最初の出会いがそうだったからかよく手を繋ぐのだ)、ホームに入っては過ぎていく電車をしばらくの間眺めていた。
 ホームの雨どいからは雨が流れていて、梅雨特有の蒸し暑さが周囲を覆っていた。どことなく、すべての人の影がいつもより薄く、長く伸びているように見えた。
 もちろん、ワタシたちはそれぞれウォークマンをつけていた。聴いていたのはもちろんオールリピートで「Rainy Station」だ。
「いい曲だよね」とワタシは言った。
「うん。素敵」と、ミカがうっとりとつぶやく。


 それから、ワタシは耳を澄ますために目を閉じていたせいか、少しだけうとうとと眠りに落ちてしまった。
 その短い間に、淡い夢を見ていたような気がした。レイジと、明るそうな笑顔の魅力的なセーラー服の少女が一緒にホームで並んで座っているシーン。
 それは歌詞のイメージで、たぶん場所にシンクロしてしまっているせいなのかもしれないとうまく働かない頭の遠くでそんなことを思った。
 そして、次のシーンでは、夜の雨のホームになっていて、少女は線路の上に立っていて、ホームの上にいるレイジに向かって笑いかけている。
 レイジは何かを言いかけて、けれども少女の表情を見つめて何も言えなくなる。
 貨物電車がホームを通り過ぎていく。そして、少女はいなくなっていた。


 その淡い夢があまりにもリアルで、目を開けた後ワタシは思わず夢の中で少女が立っていた線路を見つめてしまう。
 いまのはただ歌詞からワタシが連想し創りあげてしまったイメージなのだろうか、それともこの場所に残り続けている記憶の残像のようなものなのだろうか。
 よく、わからなかった。
 ただ、夢の中だったはずなのに、その存在感のようなもの、気配のようなものはあまりにも濃密で、自分が俯瞰的な位置から過去を見ているような気がしていた。どうしてか、すごく。
 ワタシはもう一度ゆっくりと周囲を見回してみた。夕方の駅のホームだ。たくさんの人がやってきては、ただ通り過ぎていく場所。
 そして、思わず動きが止まってしまった。
 こわばる身体を無理矢理動かして同じようにうとうとと眠っていたミカを揺り動かした。
「ん、んん……どうしたの?」
 片方のイヤホンを外しながらミカが言う。
 ワタシはホームの端を指差した。震えながら。
「……あ」
 ミカの言葉も声になってなかった。


 ホームの端に、レイジがいたのだ。
 後姿でもすぐにわかった。ジーンズにサマーセーターを着ただけのレイジは、右手にピンクと白い花ばかりで作られた花束を持ってホームの端に立っていた。そして、その花束をホームの端に置くと、しばらくの間たたずんでいた。それから振り返ると、ワタシたちの方に近づいてくる。ワタシたちは声をかけようとしてけれども金縛りにでもかかったみたいに動くことができなくて、ただ目でレイジが通り過ぎていくのを見つめていた。レイジは優しい目をしていた。


 ワタシたちは放心してしまったみたいに、しばらくそのホームにいた。
 いまさっき自分たちがレイジを見たのだということをうまく信じることができないでいた。ただ、それでもそれは紛れもなく現実だった。
 正直な話、この駅が「Rainy Station」の舞台だっていう情報は嘘でもよかった。ただ、そういうことでもレイジと、レイジの曲と繋がっているという気持ちを持つことができればそれでよかったのだ。ちょっとしたイベントのようなものだったのだ。けれども、ここはたぶん本当に歌の舞台になったホームで、レイジがいた。
 ワタシたちは随分と長い時間、手を繋いだままそのホームが暗くなるまで椅子に座っていた。


 ……「Rainy Station」は、ミディアムテンポのやさしい感じのする曲で、歌詞が少し変わっている。
 レイジとおぼしき男の子が、駅のホームで幽霊の女の子と出会って恋に落ちる歌詞なのだ。
 そして最後には、その女の子が消えてしまって終わる。
 とてもやさしくて、せつない感じのする曲だ。


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