Sun Set Days
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2002年06月23日(日) 機種変更+『ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず[上]』

 昨夜はかなり夜更かしをして眠りについたのは5時過ぎ。
 そして起きたのは8時30分。
 それから準備をして、9時30分から予約をしていた歯医者に行ってくる。
 実は最近、休日を見計らって歯医者に行っているのだ。一度、出張生活がピークの頃に鈍く痛みがあったことがあって、けれどもだましだまし痛みが引いたのをよいことに放っておいていたのだ。けれども、最近ようやく出張のサイクルが間延びしてきたので、いまのうちに、本格的に痛みに耐え難くなる前に直してしまおうということで。

 それから仕事場に1時間ほど顔を出し、同僚とマクドナルドで昼食をとった後、電車に乗って渋谷へ。
 外貨両替をしに行きたかったのだ。
 渋谷と池袋のUFJなら土日でも17時までなら可能だということを同期から聞いて、それで渋谷にまで行ってきた。
 確かに開いていて、$に両替する。

 そして、せっかくだからということでDoCoMoの渋谷支店にも足を伸ばす。もしP504があれば機種変更をしたいと思っていたのだ。
 先週品切れをしていたP504のシルバーは今日は在庫があって、それで機種変更を行う。
 僕はこれまでDoccimo(携帯電話とPHSの両方が使えるやつ)を使用していたので、同時にPHSの契約も解約する。
 手際よくスムーズな応対で、30分もかからずに終了。ポイントが4000円分たまっていたので、少し得をする。

 日曜日の午後の渋谷はかなり混み合っていて、Q-FRONT前のスクランブル交差点の手前では、テレビカメラが道行く人に何かをインタビューしていた。マイクを持っている女の人はたぶんモデルかタレントだと思うのだけれど、名前の分からない人だった(でもとてもきれいな人だった)。

 正直な話、まだほとんど携帯には触れないでいるのだけれど、いいなぁと自分では満足している。
 以前にも書いたように何より薄いし(折りたたみ時が16.8mm)、ワンタッチで開くボタンがついている。
 液晶はきれいだし、音も32和音と書いてあるのでよいのだろうし(着信音にジャネットの「DOESN'T REALLY MATTER」、メールの方にはホール&オーツの「PRIVATE EYES」を設定しておいた)。

 それにしても、いままで使っていた機種はちょうど2年前くらいに購入したものだったのだけれど、随分と進化してしまっていて驚いてしまう。
 iアプリには最初からテトリスも入っているし。
 お金さえ払えば、シムシティまでできてしまうみたいだ。

 正直な話、これまでは携帯をそんなに活用していたとは言い難かったのだけれど、せっかく新機種を購入したので、いろいろとカスタマイズしていこうと思う。

 夜に、久しぶりにある先輩から携帯に電話がかかってきて30分ほど話す。関東以外の地域にいる人なのだけれど、今度関東に出張でやってくるときには飲みましょうと約束をする。僕はその先輩のことをかなり慕っているので(尊敬しているし)、楽しみだ。


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『ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず[上]』読了。塩野七生。新潮文庫。
 ずっと以前から気になっていたシリーズで、けれどもあまりにもボリュームがあり過ぎるのでなかなか手を出すことができないでいたシリーズでもある。
 それが今回ついに文庫化されたので、ようやく手にとってみた。
 ローマ帝国興亡の一千年を描く労作で、高校時代は日本史選択だったこともあってこの辺りにはうといので、それが逆に新鮮だった。もちろん、次から次へと登場してくる複雑な名前(タルクィニウスとかルクレスィアとか)には辟易してしまったけれど、そういう名前をいちいち覚えるのではなく、流れとして読んでいけばいいかなと思いながらページをめくる。
 人類がはるか以前から基本的にはまったく同じ事を繰り返しているというのは、どこかでは滑稽なことで、けれどもだからこそ人間なのだろうなと思う。ここに描かれているローマ人たちの行動にはネガティブな側面も少なくないのだけれど、歴史の様々な出来事に、それを取り巻く人間関係に、いまの自分たちの社会を重ね合わせることで見えてくるものはきっとあるはずなのだろう。
 人のことが見えるほど自分のことは見えていないもので、こういう本を読むととりわけ哀れな末路をたどった人物にどうしてそんな行動をとってしまったのかと疑問を抱いたりもするけれど、だからといって傍観者ではなかったら自分も同じような選択をとってしまうかもしれない……そういう意味でも、歴史物語は多くの示唆に富んでいるとは思う。歴史物を読むときには、いつも人間には感情があって、それはずっと以前から同じだったのだということを当たり前ではあるけれど本当に実感してしまう。だからこそ昔の文学にも納得したりときに感動したりすることができるわけでもあるし(基本的には編年体で書かれている本書でも、その感想は変わらない)。
 特に印象に残ったところはこの部分。


 人間の道徳倫理や行為の正し手を引き受けてくれる型の宗教をもたない場合、野獣に陥ちたくなければ、個人にしろ国家という共同体にしろ、自浄システムをもたなければならない。ローマ人にとってのそれは、家父長権の大変に強かった家庭であり、そしてこれこそローマ人の創造であることではどんなローマ嫌いでも認めざるをえない、法律であったのだ。
 宗教は、それを共有しない人との間では効力を発揮しない。だが、法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮できる。いや、共有しない人との間だからこそ必要なのだ。ローマ人が、誰よりも先に、そして誰よりも強く法の必要性に目覚めたのも、彼らの宗教の性質を考えれば当然の経路ではなかったかと思う。
(……)
 人間の行動原則の正し手を、
  宗教に求めたユダヤ人。
  哲学に求めたギリシア人。
  法律に求めたローマ人。
 この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かびあがってくるぐらいである。(75-76ページ)


 先入観よりはずっと読みやすい本で、次は[下]を読もうと思う。


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 お知らせ

 iアプリとか、いろいろと試してみたいのです。


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