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2002年05月27日(月) 『問屋と商社が復活する日』

『問屋と商社が復活する日』読了。松岡真宏。日経BP社。
 この本の帯にはこう書かれている。


「問屋も商社も、もういらない! そう思ってるメーカーや小売のみなさん、あなたたちは、まちがっている。」

『流通革命』にだまされるな! 21世紀、流通を変えるのは、問屋と商社だ! 流通ナンバーワン・アナリスト、待望の新作――


 結構刺激的な謳い文句だけれど、たとえばビジネス誌などの誌上において、問屋や商社が日本の流通の近代化を妨げる弊害となっているというような論調が見受けられてきたことは事実だと思う。大手製造業といわゆるチェーンストアとの直接取引きが中心となっている欧米と比べ、日本は中間段階に卸や問屋が多数介在し、それがコストを押し上げる要因となっている。その結果、たとえば日用雑貨の商品の価格を比べても、大きな内外価格差が生じ、日本の消費者は不利益な状況に押しやられている――というような論理。

 ただし、本書は最初からその前提を覆す。たとえば、「はじめに」の部分ではこう述べている。


 流通業界に身を置く方ならば、みなその名を聞いたことがあるだろう。今から40年前、1962年に書かれた『流通革命』。著者は、当時、東京大学経済学部で助教授をしていた林周二氏。センセーショナルな題名は、瞬く間に流通業界の話題をさらった。
 林氏が唱えた「流通革命」とは、煎じつめて言えば、流通業の合理化である。なぜこんな発想が生まれたか。その前提として、日本の伝統的な流通は非効率な商慣行に縛られ、欧米に比べ著しく遅れている、という認識が当時の日本にあったからだ。
 流通革命は、この不合理をすべて解決するものである。小売の立場に立てば、問屋を外して、メーカーとの直接取引を拡大し、中間マージンを削減する試みである。昨今では、IT革命なるものがこれに加わり、情報技術の発達により、中間マージンの削減がさらに加速されるともいわれている。
(……)
 結論を先に述べておく。
 ここに挙げた「流通革命」的な考え方は、100%間違っている。
 私は思う。流通業に携わる人間は、過去40年間にわたって「流通革命」という荒唐無稽なプロパガンダに自らが毒されてきたことに気づくべきである。(4-5ページ)


 そして、以下に続く論述の部分で、なぜ「流通革命」的な考え方が間違っているのかを様々な例証によって解説し、その後問屋(中間流通)の持つ有益な機能等について述べている。

 その論述には興味深い点が非常に多いのだけれど、たとえば「日本の人件費は高い。そのため店舗の大型化とシステム化を通じて従業員一人当たりの守備範囲面積を広げ、人件費にかかるコストを相対的に減らすべきだ」と言った一般的によく言われている常識についても反論をしている。
 もちろん、純粋な賃金自体のほうは日本の方がアメリカと比べて高く、その差は約30%にも及んでいる。そういう意味では、日本の人件費が高いということは間違いではない。けれども、その他の店舗経営に関連するコストの差も同時に挙げられているのだけれど、それらのコスト(たとえば家賃、エネルギー、上下水道等)は50%以上も日本の方が高いのである。
 引用すると、


 日本の商業部門の人件費は、たしかにアメリカに比べ高コストである。しかし、設備やエネルギーというほかの経営資源のアメリカとのコスト差と比べてみると、労働コストの格差はむしろ小さいのである。
 つまり、国内の全経営資源を相対的に眺めると、日本は人件費が「安い」国なのである。(44-45ページ)


 そのため、結果として90年代後半の大店法の規制緩和に連動するようにして拡大してきた大手小売業主導の売り場面積の拡大も、当初見込まれたほどの効果を挙げたものが少なく、むしろ経営にとってはダメージを与えていったものが多いと考えていくことができる。
 つまり、店舗を大型化すればするほど、国際的に高い水準にある地代や高熱費にかかる金額が増大し、ローコストな人員で店舗を運営することによって得られるメリット分を打ち消してしまうということだ。
 これは確かにそうなのだろうと思う。利益に占める労働分配率をいくら減らしても、設備費や不動産分配率のほうが大きいものであるのなら、結果として利益は得られにくい構造になってしまうわけだし。

 また、日本の小売業が目標としているアメリカの小売業の利益率や生産性の高さというのは、実はプレイヤーの少なさ=寡占によるものであると述べていることも興味深い。
 これも日本では本格的な意味でのチェーン店がまだ存在していないために、つまり流通が遅れているがゆえに小売価格が高いという論調が一般的なのだけれど、実際には本格的なチェーン店があることが必ずしも商品の低価格化に直結するわけではないと述べているのだ。これは大型のチェーンが林立するヨーロッパの各都市での食品価格と食品小売大手5社のシェアの相関指数を用いて例証を行っている。
 その相関表から導かれるのは、大手5社のシェアが高い都市になればなるほど、傾向として食品価格は高めで安定しているということである。つまり大手が高いシェアを握るということは競争相手が少ないということであり、その結果として身を削るような低価格志向を見せる必要がないということである。
 それに対して日本は問屋が古くから発達し、中小の小売の参入がしやすい状況が作られており、そのことが健全な競争状態の育成と低価格競争とをもたらしており消費者にとって便利な状態になっていると述べているのだ。

 また、それに関連して、世界No.1の小売業であるウォルマートについても、このように述べている。


 ウォルマートは、競争の少ない中小都市に出店し、そこで独占的あるいは寡占的地位を占め、競争のない環境で売り上げを確保している。それ以上でもそれ以下でもない。
 また、ウォルマートはディスカウントストアであると言われているが、その粗利益率は、日本のディスカウントストアに比べて10%ポイント以上高い。こんなに利益に余裕のある小売をはたしてディスカウントストアと呼べるのか。
 言い換えれば、ウォルマートは本当ならばもっと安く売ることができるのに、そうしていない。年間数千億円もの利益を計上しているのが動かぬ証拠である。ウォルマートは、株価を下げず、利益を企業内に留め、利益を出している。そしてその利益成長の投影として株価が上昇し、もともと富裕層である株主がさらに富裕さを増していく。これがウォルマートの実態である。(90-91ページ)


 この部分に関しては、いま読んでいるウォルマートについて書かれている他の本に反対の記述がされている部分があったので、そちらも読了してからまた書こうとは思うけれど、ヨーロッパの例に見られる寡占が進むことによる価格の維持(あるいは独占による価格の上昇)は納得することはできた。
 あとはただこれはあくまでも傾向の話なので、個々の企業の経営方針によって企業内に留まる利益に関してそれをどれだけ価格に還元していくのかということになってくると思う。
 たとえばウォルマートの粗利益率がいくら平均よりもポイントが高くても、店頭に並べられている商品の価格が他店よりも安ければそれはそれで顧客にメリットを与えていることにはなるだろうし。
 企業のポジティブな成長のために、利益が必要なことも当然のことではあるし。
 それをどこで線引きをするのかということが、それぞれの企業の方向性を決めていくような気はするけれど。

 結局のところ、


 だから流通市場全体を眺めると、小売と問屋はその付加価値の取り合いをしているだけなのだ。流通の各段階における利益率格差や、国別に見た利益率の相違は、本質的には付加価値という、大きさの決まった”羊羹”を、メーカー、問屋、小売、消費者のだれがどれだけ「取り合うか」という話なのである。(98-99ページ)


 また、日本とアメリカとを比較した際に日本の流通の仕組みが遅れていることの証明の一つとして「内外価格差」が挙げられているけれど、これに関してもそういうものはありもしない問題であると否定している。
 考え方としてはこうだ。


 りんごの値段が日本では200円で、アメリカでは1ドルだった場合、1ドルが200円であれば日本とアメリカでのりんごの内外価格差は無いが、円高によって1ドル100円になってしまえば、日本とアメリカのりんごの内外価格差は2倍に急上昇してしまう。こうした現象が、プラザ合意後の日本で発生し、日米の内外価格差は一気に上昇することとなった。
 そう、これが内外価格差問題が80年代後半に急浮上した唯一にして無二の理由なのである。
 プラザ合意以前も問屋システムは日本の流通の根幹をなしていたし、設備よりも労働力をより多く使う経営手法は広く日本の流通業で行われていた。つまり、日本の流通構造は何も大きく変化しておらず、人件費や地価が高い割には安い生活必需品を提供できるという優れた仕組みが脈々と続いてきたのである。(145-146ページ)


 そして、そのように「流通革命」に関連するいくつかの主張を否定しながら、次に日本の中間流通の擁護を行っている。
 その際の基本的な論調というのは、現在の日本では問屋(や商社)は、小売業の品揃えを豊富にすることに加え、参入障壁を低くして、自由競争を促進することが可能となるということだ。そのような問屋の存在によって、各小売業は自由競争によって低価格化が図られ、結果として消費者がその恩恵を授かることになるというようなことだ。
 とりわけ、食品などについては、すでにある程度システム武装を完了している大手卸の存在感があまりに大きく、その話は確かに当てはまる内容なのだろうなと思う。


 正直な話、この本はかなりおもしろかった。僕自身は流通業に属しているのでスタンスとしてはこの本が否定していることを参考にしていることになると思うのだけれど、その立場にいても論理の整合性にはかなり納得させられてしまった。ただ、いきおい論理が業界全体であるとか全体論的な内容であるが故に、個々の企業の事例としてはそこから逸脱するケースというのは多数あるだろうし、そのような企業に属している身としては、この本に書かれている内容も踏まえた上で、妥当性のある選択肢というものを考えたくなってしまう。
 いずれにしても、考え方として自分たちが普段抱いているスタンスに対して反対側から見ることができたというのは大きかったと思う。
 業界的な理解という前提がある分入りやすかった部分があるにしても、おもしろかった。


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 今日のDaysは大阪のビジネスホテルから。
 実は昨日の夜から(またまたまた……以下略)大阪に来ているのだ。
 昨日は朝から東京で働いた後、20時台の新横浜発ののぞみで大阪へ。
 新幹線の中で上記の本を読み終わり、ホテルの部屋でDaysを途中まで書いていたのだけれど、それから電話がかかってきたりなどで中断、そのまま終了する前に眠ってしまったのだ。
 今回は大阪→名古屋→新横浜というロード。1日休日を挟んで、次は福岡4days。
 それにしても、こうしてDaysに書いておくと、かなりクレイジーなスケジュールで動いているような気がする。
 気のせいじゃないのか、これは。


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 お知らせ

 今日のBGMは『The very best of Daryl Hall&John Oates』。
 名曲多いなあと改めて思う。
「Private Eyes」に「One on One」、そして「Kiss on My List」とか。


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