Sun Set Days
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2001年08月11日(土) 『停電の夜に』

 午前中に、友人からの電話で起こされる。
 夏休み中に会う約束をしているので、その日時の確認と世間話。
 仲間内にアメリカに留学している女の子がいて、その子から「明日が卒業式」だというメールが来たという話になる。
 同じようなメールは僕にもきていて、院に進むのでまだしばらく向こうにいることになると書かれていた。
 元気そうで何より。

 社会に出て今年で5年が過ぎて、当時の友人たちが結婚したり子供が生まれたりしているのは、ある意味当たり前のことにしても、やっぱり不思議なことのような気がしてしまう。それはたぶん自分が学生だった頃と(基本的には)変わっていないような気がするからなのだろう。思い返してみれば、中学生のときに高校生は大人に見えていて、ただ自分が高校生になってみたらただの子供でしかなかった。大学生だってそうだったし、大きく変わるのかなと思ったりした社会人だって、同じようなものだった。
 もちろん、実際には様々な仕事を覚えてきたし、いまでは中堅めいたことすらしていたりもするのだけれど、ものの感じ方や考え方に関して言えば、学生だった頃とそんなに変わっているとは思えない。三つ子の魂百までなんていう言葉を持ち出すまでもなく、人のもともと持っている傾向はそんなに変わらないのだろうなと思う。
 もしかしたら、それは僕がただ単に子供なだけなのかもしれないけれど。
 
 今日は久しぶりに『停電の夜に』を読み返す。
 新潮クレスト・ブックスの一冊で、新人作家のデビュー短編集でありながらピュリツァー賞文学部門受賞の快挙を成し遂げたといういわくつきの作品集。
 昨年買って読んでいたのだけれど、当時は慌しい暮らしをしていて(昨年は8月中旬からクリスマス過ぎまで2日しか自分の部屋に帰らずに、出張生活を続けていた)、いつかゆっくりできるようになったら読み返したいと思っていたのだ。
 このジュンパ・ラヒリというインド系の作家の作品には、奇をてらった設定はなくて、あくまでも日常の中で物語が語られる。共通しているのはインド系の人物が登場するといったことくらいだけれど、それだって何かしらのアピールのためにというわけではない。ただ、普通の人たちとして彼ら/彼女らの日常が切り取られているのだ。
 一番すきなのは、表題作でもある『停電の夜に』。
 生まれるはずだった子供の死産からしっくりいかなくなってしまったインド系の若い夫婦が、数日続くという停電の夜毎に、お互いの秘密をひとつずつ打ち明けるというもの。ロウソクを灯したキッチンや階段で、薄い闇の中で、二人はそれまで言うことができなかった秘密を打ち明けていく。そうすることによって、すれ違っていた二人の距離が、再び近づいていくのだろうか……というわずか30ページ弱の短編なのだけれど、その結末の後には、しばらくいろいろと考えてしまった。自分だったら、どうするだろうとか。良い短編は人生の真実を見せてくれる云々という言葉を何かの本で読んだことがあるけれど、本当にそんなふうに思えてしまう。誇張もお涙頂戴もない、人生の真実というか、実際の人生もそんな感じだと思えるような。

 それにしても、短編でも、びっくりするくらい短くても、長編とは違った意味で感動する作品は多いよなあと思う。違った意味というのは、ワンエピソードに焦点が当てられている点とか、現実の風景からひとつのイメージだけを切り取っているようなところ。長編では、現実の風景にいくつものイメージを油絵のように塗りたくっているようなところが魅力。濃いのも薄いのも、どちらにもそれぞれの味がある。
 そして、そう思えると読んだことのない作家の短編集を読むのが楽しみになる。たとえば、今年読んだものでは『体の贈り物』はとてもよかったし、これは昨年だけれど同じクレスト・ブックスの『巡礼者たち』も地に足のついた描写に引き込まれた。
 のんびり気ままに読書できる夏休み。これはこれでとても幸せだ。
 


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