創造と想像のマニア
日記というよりもコラムかも…

2005年01月08日(土) 血脈…読んでません。

昨日の仕事帰りに電車の中で少し読んだだけです。
でも、読みたいモードは上昇中です。部屋でパラパラ…と本を捲っては手を止めて…またパラパラと捲る…というのを繰り返しています。
じゃー読めよって感じですが、通勤時間を使って読もうと思います。家では中々時間がない。じっくり読みたいとは思うんだけれど、焦らしながらゆっくり読むのも面白いかも。
自分の親の話を書くってどういう気分だろう。親の恋愛を書くのって恥ずかしいような、親もそりゃ恋愛するだろうけれど、ここの家はちと複雑というか、妾というのが当たり前のようにいた時代だから、悲観的になる事もないのかもしれないけれど、それでも親がどういう風に出会って、自分が生まれたのかというのを書くのは夫婦以外の「2番目の妻」という書き方であれ、本当の妻ではないのだから、公にしたくないと思ってしまいそうな感じがするのですが。
まぁ、天皇家ではまだ当たり前のように妾(側室)というのがいた時代だし、今のように書くすべき事ではないのかも。とにかく、その時代の事はその時代に生きた人じゃないと解らないけれど、頭で納得できる事もありますが、これは納得は出来ないのですが、ただ凄い時代で、凄い家族だったんだなと漠然と感じています。

昔、母親が言っていたのですが、昔の男の人は妻以外の人を囲えてこそ男の器の大きさが生まれるものらしい。それってただの言い訳のようにしか聞こえないのは多分私が今の時代の人間だからなんだろうな。
単に男の人が妻とも別れられず、でも、他の女の人も好きという優柔不断なだけのような気がします(苦笑) それを正当化出来た時代だったのだと感じる。男尊女卑が当たり前だったからなのかな。

今現在が舞台の若い作家さんが書いた話もいいけれど、それよりももっと前に書かれた話を読むのが楽しい。「血脈」は現在書かれたものだけれど、作者が大正生まれの人だから、その時代がどういうものだったのかを自分の肌で知っているから、今書かれたとしても、その時の空気を表現出来るからとても興味を持っている。
時代小説を読みたいとかそういうのではなく、その時代に生きた人の話を読みたいのです。
三島由紀夫の小説を好きになり、ドストエフスキーの小説に嵌り、ヘッセの小説に嵌り…と、昔の作品を読んでいると、今の小説ってとても軽く感じてしまう。それが悪いわけではないんだけれど、物足りなく感じる事が多くなったような気がするのです。勿論物足りないと感じない作品も沢山あるけれど、新規開拓しようと物色して色んな作家さんの本に手をつけていますが、その作家さんの2冊目に手を出す事が少ない。
本当は時代、ジャンルを問わずに色んな本を読みたいと思っているのになぁ。


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未森

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