創造と想像のマニア
日記というよりもコラムかも…

2003年08月12日(火) TV日和。

朝からTVつけっぱなしでした。
「とくだね」で携帯小説を取り上げていた。
私は携帯を持っていないんだけどね(笑)
「ほほぅ。携帯にもメルマガがあるのか」と…
知ってて当然の事かもしれないが、私は携帯電話と言うのを持ったことがないから携帯電話についてはまるで疎いのです。きっとこれからも携帯電話を持つ事もないだろうしね。(←電話苦手)
で、活字離れしている今日この頃携帯小説が流行しているみたい。
支持されているのはとある女子高生の話。
「ライトノベルズ系統かなっ」と思っていた。が、違う…。
その小説は本にもなっていて中を見たら殆どが台詞。
これって小説とは言えないんじゃなかろうか。シナリオ見てるみたいだった。
でも、携帯で読み、台詞ばかりだったりするとメールを読んでいる感じで親しみ易いのかもしれない。

■十二国記■
今日はアニメ十二国記の日。
最近オリジナルキャラが出ないので楽しく見ています。
今回は大満足です。演出が良かった!
泰麒が麒麟になるシーンや饕餮とのシーンは鳥肌物でした。
いつもこんな風に作ってくれるといいんだけどな。
でも、毎回演出家、脚本家、作画監督が違うので、纏まりがない。
1つの物語を作るのに作り手がコロコロと変わるのって繋がりがなくなるから嫌なんだよね。

アニメ化、映画化、ドラマ化になると結構オリジナルを入れる演出家(脚本家?)が多い。
「オリジナルを入れてなんぼ」
と、監督の色を出すのが当たり前だと言う意見もあるけれど、監督や脚本家が自分の色を出したいと思うのであれば、自分でオリジナルの話を作ればいいと思う。
原作には原作者の言葉が詰まっている。
それをオリジナルのキャラクターを入れたりオリジナルの話を入れられたりするのって私は好きではありません。
そりゃ、原作が完結していなくて、追いつきそうだからオリジナルを入れるってのはまぁ…仕方がないかなと妥協出来る。
でも、きちんと完結しているのにオリジナルを入れて大切なシーンを端折られるのはたまったもんじゃない。
「月の影 影の海」はもう完全に自己満足としか思えない出来になっていた。オリジナルの尻拭いで肝心のラストがコンパクトにされると許せないんだよね。
心が狭いのかな。先に原作読んでると失望する事が多いから見ない方がいいのかもしれないけど、やっぱり見たいという気持ちもある。
「月の影 影の海」は私にとっては駄作だった。
が「風の海 迷宮の岸」は違うかもしれない!!
と、毎週見てますが、たま〜〜〜にオリキャラ出て来て「十二国記」シリーズの別の話をかきまわしていて…はっきり言って嫌だ!!

何でなの? 何故なんだ!
「十二国記」としては完結はしていないけれど、それぞれのタイトルは完結されている。
なのにおかしなオリジナルキャラクターを入れるのはどうしてなんだろう。
元からある設定がおかしくなるし、どうしようもないミスも見つけたりすると鬱になる。
何度も何度も読み込んだ小説だからミスは初見でも解る。
ミスが出やすいんだからオリジナルを入れるなら納得出来る作品にして欲しい。
原作者は自分の作品にオリジナルを入れられるのってどういう気持ちで見てるんだろうか。
割り切ってるのかな。見もしないのだろうか。
製作者は原作ファンをどう思ってるのだろうか。
ただ原作通りに作る技量がないだけなんじゃないか。とか考えてしまう。
原作通りに作るのって意外と難しいのかも。ただの読者なら自分の解釈は好きに言える。でも、それを違う物に作る場合自分の解釈は決していれてはいけないと思う。

これは訳もそうだと思う。自分の思想や解釈を入れてしまうと原書の色はガラリと変わってしまうからだ。
自分の思想を入れたいのなら自分で話を作ればいい。
元ある作品に自分の解釈をいれたいのならば、ファンブックを作ればいい。
そう思ってしまうのです。

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未森

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