ぐるぐるぐりぐり | ||
2015年09月28日(月)
まれ/振り返り・ノトランド編 もうこれは、柳楽優弥の匠の技を堪能する番組だと思うことにした。 #まれ 姑の「ぱてぃしえっつーのは、またすぐ戻れるような甘い仕事なのか?」はほんとにその通りで、塗師屋を手伝うのかパティシエになるのか、選ばないとどちらも中途半端だぞ、もその通りなんだよね。大悟の「何かを手に入れたいなら何かを捨てろ」を思い出して、圭太を捨てろまれ。 #まれ 圭太の歴史 相手がショックを受けるであろう言葉をぶつけて、傷つき動けなくなったところで自分の言いたいことを一方的に喋る…のは、説得でも話し合いでもないと思うの。それは、操りです。と、昨日から今日までの圭太を見て思いました。 明るく夢に向かって努力するヒロイン、というのを作り手が拒否した結果→ 「親子3人で、横浜で暮らしましょう❤️」と既婚の娘に言う藍子の笑顔の恐ろしさ。 藍子婆「お母さん絶対反対や」(ほんとはそう思ってませーん)パターン飽きたからやめて。そういう嘘で人を操るの、こわいを通り越して嫌悪。 「みんな、家族みたいなもんやさけー!」と言って友だちの見合いを覗く人たちが考える「家族の幸せ」を想像すると、なかなか地獄感ある。 妻が死んでも初恋の人に振られても新しい恋をすることは許されず、横浜やましてやフランスなんて外の世界に行くことはありえない。自分の幸せよりまずは家族の幸せを問われ、搾取され、貧乏からは抜け出せない。だれもこの魔界村能登からは出られない、変われない。そんなホラー朝ドラ。 #まれ #まれ の紙芝居、音痴や絵の下手さを笑い、友だちの見合いを覗き、未婚の人をからかう行為。繰り返される違和感と嫌悪感はなんなんだろうと考えてたらわかった。みんなで弱い人をいじめて、不快だと抗議すると「いじってるだけじゃん、おもしろいんだから空気読めよ〜w」って言われる、あれだ。 【速報】まれ、「家族」のために夢を諦める 5年ぶり3度目 【またか】 最終回考えてみたぞ 「仕事も家庭も両立、もちろん子育ても! 夢をあきらめずに地方で輝くすてきな女性!を、あなたたちは目指すべきよ!」的なおそろしい呪いをお茶の間の皆さんにテレビ画面を通してふりまく、これがこのホラー朝ドラの一番の目的だったのだ…! #まれ まれは毎回「自分の望み」ではなくて「他人の望み」をかわりに叶えてる。店は「父の夢」で、今やりたかったわけじゃない。子どもは「圭太の夢」。女将は「義母の願望」。公務員は「母の欲」。 まれさんのケーキはおいしい。けれどその「おいしい」の前に「こんな田舎のケーキ屋にしては」が付くんだろうな。まだまだ修行が必要な状況なのに小さな箱に入り、いつしかそのまま満足してしまうことの恐ろしさ。誰も「そこを出なよ」とは言ってくれない「家族」の冷たさ。 2015年のノトランドには、インターネットと言えばブログしかない。ツイッターも食べログも2chもなく、ケーキを酷評されることはない。みのりらしき主婦が「義姉の代わりに家事ほとんどやる日々です」と書き込む発言小町もない。平和な世界。ラブアンドピース。 自分が失踪中に家族の生計を娘に担わせるという悪行。その後「でっかい夢!」と騒ぎながら娘の一間しかない下宿に居候する気持ち悪さ。さらに娘の幸運と技術を自分の金儲けに使うつもりの、搾取体質。 「すべて親父から始まってたんだなお前の夢は」 私には、脚本家さんが「お父さんお父さん!」と泣き叫ぶ子どもに見える。いなくなった父への愛と憎しみを、ドラマにして吐き出しているけど、まだ子どもだから、昇華できず形になってない。「毒を入れた」んではなくて「デトックスとして自分の毒出し」してるんじゃないかしら… #まれ 「これはダメだよね、誰かが後で怒るんだろうな」と思うことが次々起こって(恐喝犯への送金、藍子の行動全て、みのりの子どもたくさん欲しい発言とか)でもなぜかそれがどれも「感動!いいこと!」みたいに扱われるのを「狂っているのは俺か世界か」と唖然として見てた半年だった #まれ はいはいはいドンセイグッバイ Tweet @satohi11をフォロー この日記についての説明↓ もっと兎が見たい人は→home |
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