解放区

2011年10月16日(日) 死ぬかもしれないということ

友人が自殺未遂をした。Drug overdoseなのだが、よくある精神科系の薬剤ではなく、内科の薬だった。しかもてめえが処方した薬だ。まさしく「なんということでしょう」というナレーションが聞こえてきそうだ。ばかすか薬物を大量内服されてしまう精神科の先生方の虚しさが少し理解できた気がした。

朝にこの友人の友人(ややこしいな)から突然電話がかかってきた。まさに晴天の霹靂だった。この人はてめえも高校時代の友人だったが、卒業後は全く音信がなかった。のでまあ驚いたし、電話がかかってきた瞬間には嫌な予感がした(誰かが死んだのだろうと思ったし、それくらい交流がなかった)が、だいたいあたっていたわけだ。

本人は意識も問題なく何の障害も起きずに済みそうだが、経過観察のためしばらくICUに入院となった。落ち着いたらてめえの病院への転院依頼が来ると思われるが、これは受けなければいかんだろうな。小さくため息が出る。

基本的に、友人を顧客にすることに関しては非常に抵抗があり、この人以外にはやっていない。友人関係と顧客関係は両立すると思えないからだ。この人に関しては、初めの状況があまりに悲惨だった(保険証すらもっていなかった)こと、家族も頼れないこと、まともな友人はてめえだけだったこと、持病の状態も最悪であり他の医師にお願いするのは憚られる状況だったことなどが重なった。今後生きていくために生活保護の申請を行い、入院させて治療を行い、てめえでは診れない合併症は他院に紹介してなんとか悲惨な場面は乗り切った(つもり)。以降、友人として馬鹿話をすることもなくなり、主治医としての発言しかしていない。これでまた友人を一人失ったわけだな。てめえの腕もあり、病状は落ち着きつつあったのでそろそろ他の病院に投げようと思っており本人にもそう伝えたばかりだった。

実は最近不眠が続いており、3日まるっと眠れなかった夜中に衝動は起きたらしいが、その後も体調に変化なく、なんだか不安になっててめえに電話してきている。この日はありえないくらいの爆睡だったので気付かなかった。そのまま黄泉に旅立たれていれば、この電話に出られなかったことをてめえは後悔しただろうか。

幸いというのが良いのかどうかわからないが、別の友人に電話したようで、救急車を呼ばれてそのままICU入室となった。「夜通し付き添いしてたんやけど、夜も明けてわしも仕事やし。とりあえず電話して伝えてくれと言われたので電話した」と言い、その友人は電話を切った。いや申し訳ない、どうもお疲れ様でしたとてめえは言った。

ICUにて、「今後どうすんねん」と聞いてみたが、彼にとって意味のある質問になったか? 「ごめんなさい」との発言は、本来産み育ててくれた両親にすべきだろうと思ったが、なぜか口から出なかった。そのご両親も病院にはいない。なんとも虚しい気持ちだけだな。なんとも整理がつかないな。


#内科系のくすりの大量内服は実にやばい。ほんまにやめてほしい。その悲惨さはパラコート中毒に比べることができるのではないか。パラコートの話も、この友人にしようかと思ったがやめた。降圧剤を大量内服して「原因不明の低血圧」として救急車で運ばれてきたが、あらゆる治療に抵抗し血圧が上がらないまま亡くなった人とか、糖尿病の薬を大量内服してこれまた治療抵抗性の低血糖を来たし、脳細胞が全部壊死したひととか。診てるほうも悲惨だ。鎮静剤はたいがいの量では死なないが、内科の薬は生き地獄を見ることができるところがパラコートに似ている気がする。あまりそういった、内科の薬を大量に、という人は診ないが、ほんまにやめてほしい。たぶん飛び降りたり飛び込んだりしたほうが楽。


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い・よんひー [MAIL]

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