解放区

2004年04月14日(水) 森沢女史からのメール

教会の皆さまへ

今日本の国民が最も心配している事件について、ヨルダンから一部の模様
がリアル に
伝えられておりますので転送いたしました。 森澤 

----- Original Message -----
From: 森沢典子

Sent: Sunday, April 11, 2004 9:55 PM
Subject: ヨルダンより

森沢典子です。
私は今ヨルダンにいます。

6日(火)夕方、イラクへ出発間際の高遠さん、郡山さん、
今井さんの3人とヨルダンの首都アンマンで会っていました。

一部マスコミからその事は伝わっているかもしれませんが
自分の言葉でお伝えしたいのでこの場を借りて
その時の様子を書かせていただきます。

6日(火)夕方知人を訪ねる目的で、アンマンのダウンタウンにある
クリフホテルに向かいました。
そこで今井さんに声をかけられました。

(今井さんは、昨年9月札幌で企画された私の「パレスチナ報告」を
聞きに来てくれた時に初めてお会いしました。
すぐに意気投合し、以来メールを中心にいろいろな話をしてきました。)

今井さんは、「わあ!こんなところで会えるなんてうれしいなあ」と
何度も言い、「これからイラクへ行くんです」と言いました。

郡山さん、高遠さんも一緒でした。

他にもたくさんの日本人客がいて混み合っていたので
高遠さんが「ファラへ移ろうか、あっちのほうが静かだから
ゆっくり話せるよね」と言い、私たち4人はファラホテルへ移動しました。
高遠さんと今井さんは、ファラホテルに泊まっていました。

郡山さんはパレスチナに行くつもりで、タイからアンマンに入り
同日(6日)にクリフホテルに来たばかりだったようですが
高遠さんたちに会って、行き先をイラクに変更したそうです。

郡山さんが信頼しているジャーナリストの坂巻Qさんがすでに
パレスチナに入って取材をしていて、おそらく自分はQ さん以上の
取材をすることはできないから、イラクへ行ってできる限りの取材を
するんだ・・と話していました。

4人で歩いてファラホテルに行くと、ロビーには3人の荷物が
すでにパックされた状態でおいてあり、私たちはそこのソファで
コーヒーや紅茶を頼みました。
今井さんは初めコカ・コーラを頼もうとしましたが、アメリカが
イラクを攻撃しているので注文を紅茶に変更しました。

夕方5時ごろから7時半過ぎまでいろいろな話をしました。
それはとても楽しい時間でした。

高遠さんは、初めて自分がイラクに入った時のこと、
その後出会ったストリートチルドレンへの思い、現地の
イラク人たちが、小泉首相がアメリカを支持したことや
自衛隊を派遣することについて、高遠さんに文句を言うように
なったから「それじゃあみんなが自分の言葉でその思いを
小泉さんに直接伝えようよ!」と、メールでメッセージを
送り始めたことなどを、生き生きと話してくれました。

今井さんは劣化ウラン弾について、自分の目でその被害の
様子を見てくるんだということ、それを北海道に戻ったら
たくさんの人にいろいろな方法で伝えたいということを
話していました。

また、出発の前日に送り出してくれる友人たちと、夜中の3時ごろ
まで過ごしてしまい母親にひどく怒られた・・・と言うと
私たちから「当たり前だよ〜〜〜」と言われ「ちょっと
僕も後悔してます・・・」と頭をかいていました。
そして、「うちのお袋、肝っ玉据わってるんですよ。
おっかないっすよ〜〜。本当、尊敬してるんです。」と
話していました。

郡山さんと私は、パレスチナの話しをし、それを高遠さんと
今井さんが熱心に聞いてくれました。

また私が今回訪れる予定だったパレスチナの、花が咲き乱れる
村の写真を見て、「はあ〜〜〜こんなにいいところなんだ」と3人で
ため息をつき「紛争だけでなくて、こういう姿ももっと伝えたいよね。
私もね、好きな場所があるんだ」と高遠さんがバグダッドから南にある
フルジア村に惹かれたこと、その風景、そこで出会ったアリ君のこと
などを話してくれました。

また自衛隊・・・と思っているのは、日本の内側にいる人たちだけで
現地でもJapanese Army と報道されていること、イスラエル軍だって
自分たちは「自衛隊」と呼んでいるけど、どこからどう見ても
立派な軍隊だよね・・・と話しました。

バグダッドまでのルートについては、今回はファルージャが
大変危険な状況なので、そこを通らないように大きく迂回して行くから、
通常よりも3時間は長くかかるだろうと高遠さんが話していました。
(通常10時間のところ、13時間を見込んでいた)

「飛行機でヨーロッパ旅行をするくらいの時間だね。」と私が言うと
高遠さんが
「気をつけないと運転手が眠ってしまうんだよ。
だから複数で一緒に行って、交代で起きていて、運転手が眠らないように
声をかけたりしなくちゃだめなんだ。」と笑いました。
すると郡山さんが
「だけど、行って道を見てみれば、眠くなる気持ちがよくわかるよ。
何にもなiか ら。」 と言いました。

そこへ、ファラホテルの従業員のサニー(専属の運転手)が携帯電話を
持って現れて「菜穂子、僕の彼女(イラクにいるフィアンセ)の話によると、
ここ数日は相当状況が悪いよ。国境も封鎖されている。今日は行かない
ほうがいいんじゃないか?」と言ったので、
みんなの表情が一瞬硬くなりました。

「・・・」「どうする?」「今の状況はもう誰も読めないからね。」

高遠さんは、バグダッドで落ち合う予定の森住卓さん(ジャーナリスト)を
待たせてしまっていることを気にしていました。

サニーは「また5分くらいしたら、彼女が様子を伝えてくれるそうだから、
電話が来たらまた話すよ。」と言ったので、とにかくもう少し様子を見ようということにしました。

まもなくサニーが再び現れて「菜穂子、彼女の話によると、昨日、一昨日に
比べれば、今日の状況はかなりよくなったそうだ。」と言いました。

3人はしばらく考えていました。

それから郡山さんは「僕は行くよ。一人でも。」と言いました。
それは後の二人を引き込む意図もなく、単純に自分がプロのジャーナリスト
だから・・・と言う意味で、自分の立場や気持ちをはっきりさせたという
印象を持ちました。

後の二人がどうするのか、私は黙って聞いていました。

今井さんが「僕も行きます。」と言いました。
今井さんと高遠さんは、状況を見て昨日の出発をすでに一日
延ばしていました。
今井さんの滞在予定期間が短かったこともあって、今井さんは
これ以上延ばすことにも少しだけ躊躇していました。

けれど、「今井くんは行ったことがないし、怖さを知らないから
そう言えるだけだよ。」と郡山さんも高遠さんも私も笑い飛ばして
受け入れませんでした。

高遠さんはこの時点ではどうするのか判断を出していませんでした。

ただ、今行かなければ、ますます入りにくくなるかもしれない・・と
郡山さんと言い合っていました。

それでもこの後よほど状況の悪い変化でもない限り、3人とも
行く気持ちを変えることはしないだろうと私は感じていました。

また私自身、止めることも、勧めることもしませんでした。
それぞれきちんとした思いを持ってここに来ていることもわかったし
こういうことは、自分で判断するものと言うことも、私自身
よくわかっていたからです。

3人のうち誰かがひどく怖がっていたり、あるいは意気込みが強すぎて
力が入ってしまっているようだったら止めると思います。

けれどもこのとき3人ともとても落ち着いていて、現地の情報や
ネットワークをちゃんと持っていて、覚悟もできているのがわかりました。
またお話していて、郡山さんも高遠さんもとても信頼できる方だと
わかったので、判断も、今井さんのことも、お任せしようとその時の
私は考えました。

でもこういう事態になって、その判断がどうだったのかわからなくなって
いますし、止めなかった自分を責めてもいます。

時間が7時半を廻り、私は知人(ジャーナリストの古居みずえさん)を
待たせていましたので、一度自分のホテルに帰ることにしました。

そのときに、高遠さんが購入したばかりの、イラクで使うための
携帯電話の番号を私に残していきました。

(電話番号については事件を知った後、すぐに、日本大使館に
知らせました。
無事に解放されるまでは、いたずらに刺激をしたくなかったので
自分からかけることは控えています。)

3人が現地に着いたら「とにかくすぐにメールを入れる」と約束を
し、別れました。

実は私は、今回パレスチナに入れなかった(イスラエルから入国拒否を
受けた)ので、今後の予定をいろいろ立て直していて、イラクのパレスチナ
難民キャンプに行く計画を考えているところでした。
こうした状況の中で、米軍による家宅捜査や逮捕など、ひどい状態であるこ
と、 を聞いていたからです。

また7日には、パレスチナに入れなかった私のために、ガザにいる日本人の
友人がアンマンまで休暇を取って出てきてくれることになっていました。
それがなければ一緒に行けたね・・・と話し、いずれにしても向こうでまた
会えるといいねと言って別れました。

今井さんに大通りまで送ってもらって別れてからから、私は古居さんと
食事に出かけました。

そして食事を終えてタクシーに乗ってホテルに帰ろうとしたときに、路上に
三人が立っているのが見えました。

私は急いで車を止めてもらい、古居さんを連れて飛び降りました。
どうすることにしたのか知りたかったのと、今井さんが古居さんに
会いたがっていたからです。

3人はすでに出発を決めていました。
そして軽い食事を済ませ、ホテルに戻るところだったのです。

古居さんは一月前にイラクを出てきたばかりだったので、高遠さんと
ルートなどについて情報の交換をしていました。

また今井さんは、古居さんに会えたことに感激して、ニコニコ笑っていまし
た。

そして「じゃあね、バイバイ!」ッと普通に別れようとして「じゃあね、
バイバイって
別れる行き先ではないよね」と私が言うと、みんなは笑いました。
そして「じゃあね、バイバイ」と言って別れました。

これが私が彼らを見た最後の姿です。

その後私は8日から、ガザから出てきた友人とヨルダンの南に旅に出ていまし
た。
けれどもその日の夕方、ホテルのテレビで3人が拘束された
ニュースと映像が流れ、すぐに日本大使館と大手メディアの信頼できる知人の記者に連絡を入れ、私が知っている限りの情報を伝えました。

そして急遽旅行を取りやめて、9日午後アンマンに戻ってきました。

それから今日まで、ホテルの従業員やタクシー会社の人々、イラク人の
運転手仲間たちなどから私なりに集められる情報を集め続けました。
またご家族の方やご友人など、こちらでの様子を少しでもどんなことでも
知りたい方がいらっしゃると考え、直前の様子については、マスコミの
取材を受けました。休暇を取って出てきてくれた友人をほったらかしにして
申し訳なかったのですが、彼女も心から協力してくれました。

また、大使館、メディア、ヨルダン警察などとも連携を取り続け
私がわかっていること、新たにわかったことは情報提供をしています。

ただ、私が古居さんと食事をしている間の約一時間に、サニーとどのような
やり取りがあったのか、いつどのように3人は出発を決めたのか、そこを
知りたいのですが、彼はずっと本業である運転手として、ファラホテルの
お客さんを乗せ、ヨルダン国内を旅していて未だ連絡が取れていません。

そのサニーは予定では今日帰ることになているので、今夜会うことになっています。

また皆さんもご存知のように、昨日の現地時間午後9時前になって、
犯人グループからの解放予定の声明が出されました。

今朝大使館でも逢沢副大臣による会見が行われました。

その後大きな動きはまだ聞いていませんが、とにかく今は解放予定と
されている現地時間の夕方6時を待っているところです。

一番微妙なときだと思いますので、様子を見ています。

早く無事に戻ってくることを願ってやみません。

森沢典子


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