奇妙な戦争
火線はどこにあるのか
2003年3月29日
戦争が始まって十日たつ。いくつかのことが明らかになってきた。
最後通告があって72時間たって戦争が始まった。ホワイトハウスで政権の中枢にあった人たちが集まって開戦を決断した。
CIA長官が持ってきた良い知らせ、サダム・フセインの幹部たちが集まっている場所が見付かった。
そこで予定を早めての攻撃であった。
3時間前にブッシュが「レッツ・ゴー」と言って攻撃が始まった。その時から半日間ホワイトハウスの中では笑い声が絶えなかった。
サダム・フセインたちが一挙に殺された。体制は崩壊し、侵入する米英軍に反乱を起こしたイラク兵たちが、そして民衆が歓呼の声をあげて迎えてくれる。
ブッシュはアメリカ軍やイギリス軍が解放軍として迎えられると信じていた。その時決断をしたといわれているけれども実際にはその6時間前に戦争は始まっていた。
基地をたった飛行機はすでにバグダッドの上空まで来ていた。いかにもブッシュが最後の決断をしたようにスタンド・プレーを演じてみせた。それはうまくいけば人気を呼ぶに違いなかった。
ところがこの安請け合いは初っ端から外れた。死んだはずのフセインが生きていた。 だからブッシュは大慌てで言った。あれは影武者だ。いや以前にとっていた映像だ。そんな生きているはずはない。そう言ってその場を取り繕ったがやはりどうやら生きていたらしい。
それなら武器で眼にものを見せて抑えつけてやる。そういって数日前から特殊部隊が進入していた国境地帯から米英軍が侵入した。
バスラはすぐ落ちるはずであった。住民やクーデターを起こしたシーア派の軍隊が米軍を迎えると信じていた。
中部・南部のシーア派は反フセインであってアメリカを信頼していて、自分たちの政権をつくりたいと思っていたから猛進した。
ところがこれも当てが外れた。
やむを得ずアメリカ軍は南部やバスラで長期に市街戦をやることができないから、その貧乏くじをイギリス軍に攻撃を任せ、同時に港を占領するように配置した。ところがこれも思うようにまかせない。
ずるいアメリカ軍は南の戦線では、もう勝ったことにしてバグダッドめがけて北上した。
1日に数十キロも進む急進撃であった。またたく間にバグダッドまで迫っていく。CNNのカメラがその様子をカメラで追っていた。
ところがよく見ていると北上するアメリカ軍はユーフラテス川の西、つまり何もない砂漠地帯を北上していた。
いつチグリス・ユーフラティス川を東に渡るのか。どこで渡るのか。そう見ていたが一向にわからない。
一気にバグダッド近郊100キロまで迫った。
砂漠の中であれどこであれ、カエル跳びで補給基地を作って北上するはずであったがこれをする時間がなかった。
だから補給路がなくて戦線が延びきった。
悪いことは重なるものでそこに何十年ぶりのモロッコからも吹く砂嵐がきた。目の前は見えず戦車隊にはガソリンがなくなり、兵士は飲む水もなくなり、どこに自分がいるのかもわからなくなった。
助けてくれと味方に連絡をとったのが、なんとその場所は基地の数百メートル前であった。そんなこんなで困難に直面した。あちこちで同士討ちも起きた。
被害は続出する。
北上するアメリカ軍の中で、最初にユーフラテス川を東に渡ってチグリス川との間を北上するのは、アメリカ海兵隊であった。
よく知られているようにこの地方は砂漠ではなくぬかるみである。
たちまちに機甲部隊はキャタピラを泥沼とられ車も動かなくなる。北上は困難になる。進撃は止まり補給は無く、海兵隊員たちは一日二食の日が始った。
しかもその南方のバスラはいまだに落ちない。
さらに悪いことには、北上するアメリカ軍に対応をするようトルコから最強のアメリカ陸軍が南進してバグダッド郊外に来る予定であった。
そうすることによってトルコ軍の越境も抑えられるし、二つに分かれているクルド人の兵隊を一つにまとめてアメリカの予備軍として戦後に備えるということもできるはずだった。
いずれにしても急速に北上するアメリカ軍はトルコから入ってくるアメリカ陸軍を合流させて、バグダッドを急速に包囲するという作戦であった。
ところが沢山のお金をあげるから、国境を通してくれと言ったのに、トルコ政府とトルコ陸軍の親米的な願いを裏切って、トルコの民衆はアメリカ軍が自分の領土を通過するのを拒んだ。これが第二の大失敗であった。
サダム・フセインの政権中枢を一挙に殺して、蛇の頭を切れば中から体制が崩壊して武装ほう起が起きると読んでいた。
アメリカ軍は解放軍として迎えられると思った。
この考えがどこから起きたのだろう。
確かに第二次世界大戦ではパリやローマの民衆が花束を持って、入ってきたアメリカ軍を取り囲みお祭り騒ぎで迎えた。
しかしその原因はアメリカが自分たちを解放してくれたのではなく、くれぐれも言っておくが、パリの街もローマの街も民衆が武装ほう起して、米兵が入ってくる前にドイツ軍を追い払ったのだ。
そこに傷つかないアメリカ軍が入ってきたから自分たちの解放が確実になったとパリやローマの民衆は迎えた。
だがこの前の第一次湾岸戦争でも蜂起した自分たちを殺し、自分たちを抑圧したアメリカ軍をどうしてイラクの民衆が解放軍として迎えるだろうか。
サダム・フセインを愛するものも、憎む者も、いまから入ってくるものは自分たちの親子兄弟を殺し、村を破壊する殺人鬼たちなのだ。まず普通の民衆がそのように考えるのは当然のことである。
そのように考えないでサダム・フセインを倒してくれたから迎えられると思うものは、この戦争をすることによって、その国の民衆、その大地から富を奪おうとする侵略者なのだ。
長年戦争で傷ついた民衆がそのようなことがわからないと思うだろうか。
これは解放軍ではなくて間違いなく、外国の金持ちの略奪軍である。
こうして戦場は正規軍の戦闘が始る前にすでに固定化した。
戦争が始まれば多くの人たちがイラクを逃れて避難していくと思っていた。
ところがまず最初に起きたことはヨルダンからイラクに出稼ぎの労働者が帰り始めたことである。
自分たちの村が攻撃されている。とにかく俺は鉄砲もって戦うよ。そう言って帰国を始めた。
隣国ヨルダンの運転手が、自分の家の子供がイラクの子供に薬を持って行ってくれと言ったからといって、トラックに薬を満杯して走り出した。
これからどうなるか判らないが、民衆が流動的に動き出した。
シーア派の住民もフセインがどうであれ村や都市を廻ってアメリカ軍と闘い始めた。民衆の海の中に米英軍は足を絡め取られ始めた。
これを取り巻くように全世界的な戦争に反対するデモが一層激しくなりだした。
イラクの国内事情に合わせ、世界中のデモが次第に性質を変えていく。
今ある戦争がとてつもなく残虐なアメリカの侵略行為である。だから批判の矛先は、この戦争を行う自国の政府やこれに協力する政府に対して向き始めた。ブッシュにとっては最も恐ろしいことが始まった。
一刻も早く戦争を終わらせなければならない。そこでバグダッドの空襲が一段と激しくなった。しかしこれも時間稼ぎにすぎない。
アメリカは10数万の新しい兵力動員を開始した。トルコから国境を越えて南進するはずであった陸軍のヘリコプター・戦車を、急遽地中海からイラク南部の港まで回して、そこから新しくアメリカ・テキサスから空輸されるアメリカ最強の兵隊を乗せ、新しく態勢を立て直し、航空・機甲師団として北上させバグダッド包囲に向かわせる。
移動した軍隊は態勢立て直しをしなければならない。そのうえで北上を始めるとしても早くて半月戸惑えば一カ月はゆうにかかる。
今度の戦争が、最初の一撃で蛇切るようにフセイン政権の破壊に成功すれば二週間で終わる。長くかかっても二ヶ月はかからない。そこで勝利すれば世界中のだれが反対しても、アメリカは勝者として戦後処理ができるはずであった。ブッシュはそう気安く考えていた。
事態の推移を軽々しく予測することはできない。今から何が起きるか分からない。しかしもし六週間、戦争がかかったらそこは分岐点である。
戦争どころかアメリカ経済が瓦解を始める。すでにブッシュの目玉政策、大型減税案は議会で半分に減額された。国防長官ラムズフェルドのかかわる石油会社のアラスカ石油開発も否決された。ネオコン派の中心人物で、対イラク最強硬派の国防政策委員会リチャード・パール委員長が金銭がらみのスキャンダルの嫌疑で昨日辞職した。国防総省と軍部との間にも第二次の増員派兵をめぐって怒鳴りあいの対立が起きている。
この一週間ブッシュ政権の中枢部で何かが起きている。
もしアメリカ経済が瓦解でもすれば世界経済がとてつもない危機に陥る。
勝負はここにある。戦後の分け前をめぐってフランスの投資家、ドイツの投資家、ロシアの投資家、そしてアメリカの投資家が格闘を始めた。
いずれにしても、数週間で終わると豪語していた戦争が数カ月で終わるかどうか確実にあやしくなってきた。
なぜか。それはこの戦争がブッシュ政権とサダム・フセイン政権の戦争ではないからだ。
これはイラクの民衆と、進入してきた米英軍との戦争である。
また勝負はどうあったにしてもイラクの民衆をおさえつけ、略奪する新しい連合軍に対しての民衆の戦争の始まりである。
どんなに時間がかかるとしても、このイラク民衆の戦争は、全世界の民衆から支持されるだろう。
考えられない不可解な境目のない戦争である。
アメリカ軍の先制攻撃が許されるというのなら、もともとイラクは先制攻撃をしたのではない。
アメリカが攻撃される予防のために先制攻撃をしたのだ。予防のために先制攻撃が許されるのならば、パール・ハーバーなんか物の数ではない。
そんな詭弁とこじ付けが許されるのか。
アメリカの民衆がそんな事を信じるだろうか。だからこの戦争には正義がないと最も戦っているのはアメリカの民衆である。
アメリカで言語学を勉強していたアフガニスタン出身の学生が、戦争が終わったので国に帰ることになった。そしてチョムスキーに聞いた。教授、私は今から帰って国の子供たちに言語学を教えます。何か私のためにアドバイスをしていただけますか。
そう聞かれてチョムスキーが答えた。
いえ私には何も言うことはありません。あなたが国に帰って、そこで見て私たちに何がして欲しいか教えてください。私たちはあなたたちの国と民衆に大変酷いことをしました。あなたが何をしてほしいか私に教えてくれたら、私はそれをアメリカ政府に要求します。そして戦います。どうか元気で頑張ってください。
そのチョムスキーの言葉を聞いたとき、私はアメリカという国が好きではないが、このチョムスキーという知識人を生んだアメリカ人は偉大な民衆だと思った。
翻って私はいま何をすべきか。そう励まされた。戦いは始まったばかりであるから予断することも、予測することもできない。
が確実に言えることは、私の今までの経験では計り知れないことが始まった。
自分が変わる以外に目の前の事を認識することすらできない。ましてや改造することはできない。そんな事態だと思う。
確かに苦難はあるが新しい事態は確実に始まった。
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