日々、ポケットへつめこんでおいたこと。
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2005年05月11日(水) 激刊!山崎

驚いたーーー。
パルコの本屋をぶらぶらしていたら、“激刊!山崎”が単行本化されていたのです。表紙はしりあがり寿。
最近、本どころか雑誌すら、あまり欲しいと思わなくなってきているわたしです。が、平積みになっているそれは、おもわず手にとってしまいました。そして買ってしまいました。「ヒョードル」すら、買うことをけちっているこのわたしが。

“激刊!山崎”は以前は「ロッキングオンJAPAN」、今は「ロッキングオン」に連載されている、編集長山崎洋一郎氏によるコラムです。

わたしはこのコラムの真剣さもしょうもなさも大好きで、しょうもなさすぎることにまで、常に、とてつもなく真剣なのが大好きで、毎号JAPANを買っていた頃、とくに楽しみにしているページのひとつでした。こんなひとが編集長をやっている雑誌ならどこまでも信用できると、わたしは信じて疑いません。だからこそあの頃、まぁ影響を受けやすい年頃ではあったのかもしれませんが、あんなにもJAPANが好きで、教科書代わりにJAPANを読みふけるという、ろくでもない高校生になっていったのだと思います。いやぁ、暗かったね16才のわたし!

JAPANを読みはじめたのがちょうど10年前(!)、95年の8月号。それから5年間、山崎さんがJAPANを去るまでのほぼ毎号、わたしはJAPANをすみずみまで読み続けました。
影響されまくって、音楽を聴く基準は、いつのまにかJAPANになっていました。
それがいやだなぁと思うようになった頃、少しずつ立ち読み程度になっていきましたが、今思えば、山崎さんがJAPANを去るということが、わたしのなかでかなり大きかったのではないかと思います。たしかあの時、兵庫さん(このひとも大好き。フラカン好きの方ならみなさんご存知ですね)も移動だったんじゃないかな、もっと前だったかな、あまり覚えてないけど、文章を読めば、あ、コレ山崎さん!コレ兵庫さん!コレ鹿野さん!とわかるまでに成長?していたわたしは、とにかくショックでした。
新しい編集長の鹿野さんがいやだったというわけでは決してないのに、どうもなじめないのは、やっぱりわたしは山崎教であり、山崎氏のJAPANによって育った人間なのだなぁと思ったりするわけです(というか、鹿野さん明るいんだもん…たぶんタイプの違う人間の気がしてならない、お会いしたこともないのにこんなこと言うのもオカシイけど)。

山崎さんが移動になった「ロッキングオン」でも連載は続いていたので、“激刊!山崎”だけを立ち読みするということも2度ばかりしましたが、その後はとんと読んでおりませんでした。

久々に読む“激刊!山崎”。
あぁよみがえります、あの頃の感覚。そして自分の中に、今もたしかにある熱さ。
熱さゆえ、切なさ。孤独とか、焦燥感とか。ロックンロールはほんとうにくそまじめだねぇ。もう泣きたくなっちゃうね。ロックンロールを愛してしまったわたしは女子としてどう生きましょう、ねぇ、山崎さん、あなたのせいでこんな大人になっちまったよ、16才の頃からちっとも変わらないよ、ギャルにゃなれんよ、どうしてくれますか。おととしの年末フェスでお見かけした山崎さんに、そう呼び止めそうになりましたよ。
気軽に読めて、大真面目。“激刊!山崎”。ロックンロールを愛してやまないみなさまなら、きっとわかるよ。


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