ドラマ!ドラマ!ドラマ!
DiaryINDEX|past|will
2009年08月20日(木) |
さだまさしの今はまだ聞けない歌 |
今日は半年ぶりですか?さださんのコンサートでした。 「美しい朝」ツアーは初参加で今日が終わり(^^;)。ていうか、チケット取る時に自分で調節した(我慢した)んだと思うけど、会場来てから昨日もあったことに気づく私…。
今日は、セットリストに「まんまる」と「小夜曲」があった!!!すっごい嬉しかった。私は今も「まんまるな幸せを探してる・・・あいつを知らないか」です。誰かちょうどピースが合って二人揃ってやっとまんまるになれる人。いるのかな?出会ってたのかな?逃したかな?−−;これから出会うのかな?「小夜曲」は、一時期私のスリーピングソングの一曲でした。探したらまだどこかにあるんじゃないかな、カセットテープにその頃私が好きだった歌い手の睡眠に入るのに気持ちいい、今日は今日、明日もいい日になるはずと思いながら気づいたら寝ている曲集に入れてた。
♪淡き空に月影冴え、…今宵、淡き星にことづけん、よるべなき思いを。きこしめせわが心とこしえに変わらじ…げにかそけきつぶやけるセレネード♪ そんな感じで?さださんについて全部歌えるぜ。新曲は無理なんだけど^^;昔はほかに娯楽がなかったのかもしれませんが、聞き込んでたもんなぁ。歌詞カード片手に。さださんはライナーノーツもつくしね。 ところで、そうそう、「親父の一番長い日」をついてほぼ歌える自分に驚いた。長いよあの歌。繰り返しや韻をふんだりしてるけど、青春時代の記憶ってすごいわ。プチ感動。
そんなこんなで、「美しい朝」コンサート後半に関西を振り分けてくれていたら、どこかできれば京都とかのちに一本参加したかったですねぇ。
などと思いつつ。ちょうど、この日の明け方に私はとても長い文を書いていたのです。日常こんな劇場のほうに書いていたのですが、なんだかこっちより基本もっと果てしなくミーハーなとこにはふさわしくないなぁと思いつつ、なんだかあふれ出る思いを消せなくてただ書いたの。最初は自分の身体に関するつぶやきなんだけど、いつの間にか祖母のことになっちゃって…。それで、今日はさださんのコンサートだなぁ、って。 そうだ!私には無理やりさださんコンサートのセットリストに入ってて聞かされた(^^;)以外、聞いたことがない、まだ聞けない曲があるんだったって思い出した。それは「おもひで泥棒」という亡き祖母(?)を歌った歌。1回スルーで聞いたのか歌詞カードを先に読んだのか忘れちゃったけど、そんなだから内容を忘れました(^^;)「こいつぁダメだ、もう、無理、今の私は聞けない」って思った。
さださんは、亡くなった人の記憶を持ち続けることでその人を忘れない、その人を語り継ぐことで、その人は生きるんだとよくおっしゃいます。私は誰にも語られることなく、その死とともに死ぬんだな…とか考えると身がよじれるんですけどね。私は私自身であるけれど、私は祖母や母の延長線上にいる。私の先には誰もいないということは、私まで脈々と続いてきた家族の記憶や血を絶やしてしまうんだと思うと、申し訳ないなんてことをしたんだ!って気にもなるんです。あぁ、ひ孫(孫)を産めなくてごめんなさい。って、今日のコンサートにあったらどうしよう…とか思いながらいったら、なかったです(苦笑)
その長文を移行しておきます。↓最初のタイトルは「体がかたい」(苦笑)
今日こそ、夕方(夜?)友達に電話しようと思った。
急だけど明日会えればと思って。
母がお通夜に行ったので、私はねんねばぁばの留守居役をせねばだったし。
てか明日は出掛けてる時間だし。
ところがここ数日では恐らく寝入る時間になってたので、脳が働いてないのがわかった。
しばらく様子をみてもっとはっきりしてから電話しなくちゃなー。
なんて思いながら、右肩が痛むし、腰も重いのでねんねばぁばの横で横になった。
テレビの阪神とどっか戦の合間にねんねばぁばの独り言(夢のように誰かが見えてしゃべりかけたり、その人のことでして欲しいことがあると私たちを呼ぶのだ。昨夜まで2日は寝る日だったようでご飯だと起こしてもぼんやりしてる。今朝方、少し話してたけど、まぁまぁで1、2回呼ばれる程度だったけど、今は顕著だ!)
今は何が見えてるんだ?誰がいるんだよぉ?
とか思いつつ、阪神の相手側のピッチャー?タテヤマって…、音だけ何回も繰り返されると横山裕さんを思い出すよ(笑)。KinKiの2人がヨコをそう呼んで遊ぶから。あぁ、ビジュアルキープ中の横山さん(笑)
てゆーか意識は遠退きつつ、体はかたまりつつ、どうせなら1、2時間睡眠すればスッキリするのだから、孫の手(苦笑)でベッドの柵をカンカンたたいてくれたら基本的には目覚めるし…、ええい、寝ちゃうんだ!
そしてスッキリしてから友達に電話をしよう! でも早いほうがいいなら明日会えないかメールをPCに入れとこうかとも考えたけど、無理かもしれないからせめて帰省中に電話で話したいし…。
母、帰宅。それまで野球中継の多分小山さんの解説が耳に入りつつ、ねんねばぁばに相槌。世界観が読めないからもうこういうときは頼み事がない場合は相槌しかないのだ。
え?母、帰宅?てか、ねんねばぁばの声がしゃがれている!どんだけしゃべってんねん?(用事のときは無声音で聞き分けるのに聞き直しては機嫌を損ねてしまうが、こんな時は声が結構出る。肺周りの運動になるから、しゃべるのはいいことだけど、しゃがれるて…もしや風邪?!)
母とぼんやり会話。すまない、ユーが帰宅するまでにねんねばぁばとご飯の予定がリクエストされないのをいいことに、固まってた。母に夕方、あられまめを食べたことを報告。母も会葬に私も知る懐かしい人がきていたことを話す。一応会話している私。
「あんたも今、ご飯食べる?ちゃんと二階で寝る?」 と聞かれるも、食欲が睡魔に負けてるのであとで食べますと。二階で寝る、正しい選択だが、もう固まってねんねばぁばの急用以外(あ、母でも)起きれない。それに友達に電話しなきゃなの。それから安心したのか少し意識がない。
テレビがナイターから予約してたドラマにきりかわるのがわかった。なんか母と話す。……「赤鼻のセンセイ」がはじまってる、なんか話す。……あ!「KAT-TUN」だ!無理矢理目を開ける(笑)ラテ欄に赤西ビビると書いてあった。大木さんが出るの?赤西がビビるの?見たい〜、でもダメ、なんとかこじ開ける時は中丸な気が……
あぁ、母が寝るからと言った。メールを入れとけばよかった。今は体がガチガチで、お腹空いてきたらしく胃が軽く痛いのに寝返りが必死だけど、きっと夜中には起きてそのままだんだん緩んで、昼に京都に行けるだろうに…、いや、危険か。予定を押さえてからドタキャンは申し訳なさすぎる。
このたびは帰国日に空港にお見送りは、ご家族に迷惑かもとやめようかと思ってたけど、今年会えるチャンスはもう空港しかないな…ダメな私……「プラチケ」やってる。あ、「ジャニ勉」の予約入れてたからテレビついたんだ、消さなきゃ……ねんねばぁばがなんかパリパリいわせてる、あ、○○か……ん?寝た?
お腹空いた…食べなきゃ、なんか食べなきゃ。あー、右肩いてぇ(>_<)左も痛い…体かたいよ(TT)、それははっきりしてるのに、脳がぼんやりしてる。いつまでだい?何が私を罰しているんだい?いや、この考えは嫌いだ。ただ規則正しい生活と出来うる簡単な運動を導入すればいい。心配な箇所は病院に検査にいけばいい。歯科にも通って、同時にカイロにも行って大口開けたあとの首(既に歪みを治してないけど)を修正してもらうんだ。そして鍼。のんびり風呂にもつからなければ。
だが、私には大きな弱点がある。それが全てのはじまりの邪魔をする。言い訳だが、まだ今のところ動かざること山のごとしな弱点。時間薬というが、かなり努力してある程度抜け道を見つけられたが、心に負担はかかる。この先がぶち破れない。
規則正しい生活が出来ないことの言い訳はねんねばぁばだけど、睡眠障害の私ですらヤバいと思う、太陽あびなきゃとか。でもしたくてしてるし、時間は限られてるから、母も相当疲れてるはずだから、規則正しい生活が正しいと言われても今は規則正しくない生活を選ぶ。この戯言もなかなかに聞いているのは苦しい。夜にしか言わなくて母にイメージが伝えられない時には、育児ノイローゼってこんな?と疑似体験させてもらった心持ちだった。最近、昼間も言うから、母が疲れてきてる。母の話を聞いて尚、祖母の話も聞けるのは慣れか?とにかく、昼間活動する母のほうが実務ははるかに多いのだから、気持ちは軽くいてもらわねばならない。
そう、この戯言や寝息、私が規則正しい生活を強いられて頑張らねばいけなくなる時は、そういう時だ。あぁ、考えただけで泣けてきた(苦笑)
哈哈
だから、いいの、規則正しくない生活。 聖人君子ではないですから、単に愛しいと思い、愛しがって育ててくれたただ2人への感謝ですから、あとはミーハーが支えなダメで寂しいやつですから、「なんで今、なんだよー」とか「用事じゃなくてせん妄のほうか…」とか「あ、今、『Endless SHOCK』WS張ってるから待って○○かえなら大丈夫やなー」とか思うよ、何回も何回も。
でも、ここにベッドの空白が出来た日の想像をしようとしただけで、あほみたいに泣ける。
母は、もうかっきり寝たきりになってもうすぐ6年と思えば、この人がんばるよなー、と、時々言うニュアンスが最近変わってきた気がする。老老介護だもんね。私もお荷物だし。私は老病介護?
そうなのだ。考えはするのだ、退屈だろうなと、家事が大好きだった祖母が、旅行や友達とのお出かけも大好きだった祖母が、買い物も大好きだった祖母が、台所に立てないはがゆさで夢をみるのかなー、友達が訪ねていまだに相談を持ちかけてくれてる夢をみるのかなと。本当にがんばってるよ。あんなに痩せてたのに、血管浮きまくり筋出まくりだけど多少ふっくらしてきたし、ジョクソウも治ったし気をつけてるからもあるし、訪問看護師さんをやめてないからもあるけどもうならないし、昨年夏の骨折も治ったし、冬も越したし、なんか食わず嫌い多かったのに、だいたいなんでも食べるし。
寝たきりで手も不自由で、骨がもろいからそうそうベッドを座位まであげられなくて、寝たきりになる前から右目が見えにくくてテレビも一時期はほとんど見なかったし…食べることに興味が集中するよね。食欲魔神だからね(笑)私よりちゃんと食べてる。偉いよ。主に母が食べさせますけど。前は一食担当してたけど、箸がかなり負担になって、入院中のスプーン食なら大丈夫なんだけど、だからカレーとか?お夜食担当(苦笑)。て、かーさんごめんよ。
母には6年かけて、間に祖父(母の父)も亡くし叔母(母の妹)も亡くし、すこしづつ覚悟が出来てきたのかもしれない。そう望む。ただ疲れてきただけなら、本当にそうなった時に母が心配だ。
私には覚悟がまだ出来ない。たった2人、この世で私を本気で愛しがってくれてる人を失うのだ。昔の人だからいつも味方というわけではなかったけど、ずっと気に病んでくれていたにはちがいない。
準備期間をくれているんだと思う。この機会には、やはり逆縁がなければ私が母を見送って1人になるということも考えさせられる。1人になる練習期間でもある。
そうだ。私が死にたくないのは、生きたいからだ。幸せを感じたいからだ。出来るだけ満足して死ぬためにやり残したことや、まだ出会ってない縁に期待したり、出会った縁を大切にしたりして、あぁよかった、がんばった、楽しかったと忌の際に思いたいからだ。
でも、何よりもこの人たちを置いては、先に死んではいけないの。どうにかして立ち直るだろう強い人たちだけど、ダメだ、この人たちを2人に出来ないという強い思い(込み)が、子供の頃からの私の支えだ。
親ばなれできない子ばなれできない、パラサイトシングル(死語?)、共依存、なんとでも言ってくれ。私はこの家族が大事なんだよー!
だから頑張ったさ、この人たちに迷惑はかけない子供、出来れば努力でなんとかなる部分で自慢の子供(造作は仕方ない、いや本当は見た目も褒められる子供になってあげたかったよ)。
高校三年の時にもうちょい勉強頑張って(三年生が一番勉強してない私はいったい…笑)、大学一年の夏までの意欲をその後も保てたら、どんなにかよかったなーと、もっと勉強したらよかった。ただ進級して卒業出来るだけでなく。(学費を出してくれた祖父も含め入学して卒業できたから安心はしてたかもだけどさ)頑張ったは頑張ったよ?なんもしないで卒業出来るほど賢くないもん、勉強はしたけどもっとできたはずと思うのねぇ。
でも働くことは頑張ったよ。もっと出来るはずと能力をはかり間違えるほど頑張った。
でもこの始末…。
ま、必死で闘ったからね、もうもっとはないくらい。
仮定の話として、あの時人員配置が違ったら、とか、あの頃味方になってくれる人が近かったら、とか、もっとうまく仲良しだったはずの同期生や先輩に立場やメンテナンス具合を説明して理解してもらえていたら、とか、もっと違う頑張り方があったかも、とか、あの人と出会わなければとかあるけど、廻り合わせはそうなっていたのだよ。
あの頃出来る限りをつくしたから、ちょうど祖母が寝たきりになる頃に、私もメンテナンス具合が少しは耐えられるようになっていて、時間も与えられているのかな、と、そう考えるようにしてる。本当に考えれば考えるほど廻り合わせ(出会いや別れやタイミング)の悪さを自分ごとながら気の毒に思うのよ、本当。 だけどね、祖母の時間に合わせたら、廻り合わせ(タイミング)がちょうどよかったことになるのね。そっちを有り難く思わなきゃと。
ただ、この二年くらい私の気持ちが不安定で、出来事が起こるから不安定なのか、出来事が起こり体に影響して体がよくないほうにいってるから不安定なのか、不安定だから体によくないのかわからないけど。とにかく二年前はもっとよくなる予感がしてたんだけど、うまくはいかない。自分も辛いが母にも負担がいく。予感では、今頃母の家事負担を少なくしてあげれてたのに…。自分がうらめしい。
でも、痛い体をなんとかミーハー心で奮い起たせ、愛しさで動かせているから、ま、頑張ってないわけではないよなと、責めるばかりでなく、時には慰めてやる。
ねんねばぁばは頑張ってる。母も頑張ってる。ねんねばぁばが居てくれる間は2人のために、もし居なくなった時は母のために、私は頑張れる。
余計なことは考えない、望まない。そうだ、出来るだけシンプルになりたい。なのに人生の垢はかくも取れにくく、更にふりかかるのだろうか。
神様がいるとして、ねぇ、私はそんなに耐えられるほど強くないんだけど、と、耐えられることしか与えないとよく言われるから問てみる。あぁ、そうか、もっと辛い人に比べたらこんなのは序ノ口なんだな、と思う。そうか、これで序ノ口なら、横綱級の人はどうやって耐えてどうやって乗り越えるんだろう。
祖母は戦争体験がある人だ。そうだね、ただ毎日生きる、生き延びるしかなかったんだね。家族の安否と食の確保しか欲も持てない時代だったのだろうと想像する。
欲だ。欲望がなくては伸びがないともいうが、無縁な欲は捨てなくちゃな。
そうこうしてるうちに、胃がからっぽなのに慣れちゃったし、夜も明けた。体の痛みも慣れた。母との交代まであと数時間、私の晩御飯をいただかなくては。食欲は大切だからね、(乳幼児の頃からあまり食欲の無い子だったらしい。ある意味贅沢だね)食べなくちゃ、元気が出ない。生命維持出来ない。
あ、頭痛いかも(苦笑)。たぶん余計なこと書いてるうちに忘れつつあった。良い質の睡眠はとれてないんだった…。何回か泣いてるし(笑)。でも泣けるだけいいや。
My追加
|