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- 諸行無常 -

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2004年11月05日(金) 病、そして死

故人を思い出させる出来事が有った。

病を、死を、宣告される様な出来事が

もしも自分に起こったら、自分はどうするだろうか。

死を覚悟して自暴自棄になるだろうか。

冷静に建設的に物事を考えられるだろうか。

俺は自分がもしそんな状況になったら肩を落すと思う。

したい事をしたいと思い、自棄になり色んな事をし始めると思う。

落胆の思いで限られた時間を医師に聞き、その時間を精一杯使い、我侭をするだろう。

故人を考えた。

それは無かった様に思う。

むしろ宣告されてからは冷静に判断していた様にも思える。

俺は自分がその立場だったら、を良く考える。

成り代り得ない物を除いて。

死を宣告されたらどうするだろうか。

その殆どが事実として受け入れられず自棄に走るだろう。

その時、その人の懐の広さを見れる気がする。

人の命は限り有る物で、いつその命を断つのかは、知り得る者は一人としていない。

まさにそれは神のみぞ知る所であり

死を心して毎日をやりのける人など一人も居ない。

俺は自分が死を目前にしたら冷静になれるだろうか。

死を待つほどの病を目前にして尋常で居られるだろうか。

ぽかぽかとした陽気の中に、病を信じられず蝕まれる、その現実を受け入れられるだろうか。

人はあっけないものだ。

人の生は強くも有り儚い。

人が人らしく生を望むためには何を望めば良いのか。

人の世には社会が有り

人の世には生活が有る。

人を蝕むのは病だけでは無い。

目に見えぬ心への重責や重圧が知らぬ間に心と言う人の中枢を蝕み続ける。

心の死んだ人は、もはや植物人間に擬似してるのでは無いだろうか。

病から死までの間

人は何を思うだろう。

周りの者は何を出来るだろう。

人の生とは儚い物。

誕生の生、終焉の生。

人の生は脆く儚い。

生まれ、育ち、迷い、そして命を断つ。

病に負けずに生を全うする事が出来るだろうか。

負けぬ心の鎧を纏えるか。

重き重責、生。








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