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- 諸行無常 -

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2004年10月10日(日) 日々修習論論

台風もようやく去り、フェーン現象がやってきて少々暑い日が続いている。

先日YAHOOオークションで見本刷りの新1000円札が流出した。

出品者は中国在住で日本語も流暢な人間だった。

冷やかしも混ざってかYAHOOが取り消し処理を行う直前で金額は89億円となった。

こんな国家事業の流出があってはならない問題となる一幕だった。

秋らしい空気に変わり乾燥した空気が夜も吹くようになった。

先日おれの車は故障部分が多発したまま人の手に渡った。

寂しい幕切れだった。

今、巷では過疎化した地域に野生熊の民家出没が増えている。

元々人間の作り出した境界線と自然の招いた天災により食物が減り

人間に免疫の無い野生地の熊が人間を恐れなくなり

やがて空腹に苛立ち人間を襲う。

様々な場所で様々な出来事が崩れ落ちる砂山のように起きている。

経済的にも過渡期と言われている。

また2011年には地上波放送が終了し全ての放送局がデジタル放送に変わると言う。

この前後にテレビの大型買い替え需要が発生すると言われており

この経済効果たるや相当な物になると思われる。

暖かく過ごし易い日と寒く物欲を押さえられる日とで

様変わりする毎日に消費意欲を妨げられ

この連休は時間を買う旅に出る人が多く感じられる。

人の物欲とはあらゆる物に対する

ストレスの対象で有るとおれは考える。

元来男性の収集癖とは持って生まれた習性らしいのだが

それは度外視したとして、人の欲求と言うのは

余り在る人のエゴに比例する一つの反射現象だと思う。

人の欲が留まらぬ場合、それは何に対しても満たされたが上の

更なる欲求を我が身に植え付けている為だ。

人が一つづつハードルを越えるなら

それは跳び箱に例えると良い。

跳び箱6段が飛べたら

人は更に上の7段、8段を目指し、過ぎた段など見向きもしなくなる。

それは越えられた段への「いつでも越えられる」安心、そして過信へと変わる。

飛べたはずの段位を過信し、月日が経った後、身体の老化を

意識せずに再度挑んだらどうなるのか。

その結果こそが過信の生みだす心の欠落を指摘する。

満たされる心と怯える心の間に、人はいなければならない。

そのコントロールは自分にしか出来ない。

あえて自分を省みて自分に欠落した物を自分で指摘する。

そうする事で自分に言い聞かせる。

心は生身の自分と言う体に宿る悪と善を共存させる

いわば制御塔のような物。

多くの人が心を操る事に苦労する。

人は一人で生きている訳では無い。

自分に携わる人への愛情や友情、そして優しさを以って関り

自分に厳しさを求めるならば言い訳の出来ない自分への厳しさを追求しなくてはならない。

おれは相変わらず「懐の深い人間」になりたいと常々思い精進しているつもりでいるが

これもまた何かの拍子に自分の目標とする努力が心の中から欠落してしまう。

心を操る事

それも自分の心を操る事はとても難しい。

しかもストレスと言う強烈なウイルスを現代社会に持ちながら得ているのだから。












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