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- 諸行無常 -

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2004年04月03日(土) 爺さんの死

金曜日の午後一時に爺ちゃんは目を落とした。

88歳の命を全とうした。

最後の最後まで人に慕われ嫌われる事の無い爺ちゃんだった。

土曜の夜通夜に向かった。

仕事をハネてから行ったから殆どの身内や家族は居なかったが

やっぱりおれの育った爺ちゃんの家だけ有って、一緒に面倒を見てくれた爺ちゃん方の兄弟(もちろん高齢)たちが

おれの顔を一目見て帰ろうと来るのを待っていてくれた。

やがて周囲の人、おれの家族なども帰って行ったがおれは婆ちゃんが一人残され機を張っている気がして

可哀相で、腕を患ったり膝を患っている婆ちゃんの体をさすりながら

爺ちゃんの話しをしていた。

みんなが寝ようとするまで一緒にいた。

そして婆ちゃんたちの布団を敷いて上げ、寝るのを見届けてから帰ってきた。

爺ちゃん婆ちゃんが年老いて行くのを見るのも切ないが

自分の親父とお袋がやっぱりどんどん小さく見えていく。

還暦を遠く昔に過ぎ、今や70に近づいている自分の親の姿を見て

改めて自分の年齢を感じた。

色々思う節や人の思われ方色んな物を感じながら、自分なりに考え色んな事を廻らせた。

自分が人への驕りを持って居ないだろうか。

自分が過信していないだろうか。

自分が正しく居られて居るだろうか。

色んな事を考えた。

相変わらずの車での往復だった。

雨がざんざんと降る中を往復しているうち、考える時間が沢山あった。

自分が正しいと思う方向へ足を進め少しづつ歩もうと思った事に変わりは無く

例え誤解が有ろうが磐石の思いで自分を居続ける事。

強固に自分を貫く事を考えた。

自分の代わりは誰にも出来ない。

人の代わりを自分も出来ない。

今、おれ自身が何を考えているかを、もう一度考えられた、いい時間だった気がする。

葬儀の場と言うのはもめ事が多く有るのが通説で

紛れも無くおれも兄貴と一戦交えた。

どう考えても矛盾する兄貴の言葉に許せず、キレてしまった。

何十年ぶりだろうか。

兄弟喧嘩をした。

兄貴は後からおれに気を使い始めた。

自責の念に駆られたのだろうか。

やがて帰るころに兄貴から一通メールが入り、言いづらそうな兄貴なりの詫びとも取れる内容だった。

最近ずっと大変な日常を送って居たせいか

しばらく平気だったはずのリンパ腺のヘルペスが又出てきた。

少し休みたいな。

体も心も。

磐石、、、とても言葉にするには簡単で、行う事が難しい言葉だ。

36歳、まだまだ修行不足だね。

爺ちゃん、さようなら。

故人、いとこの嫁さんと共に天国で仲良くやってくれ。

いつか、おれ自身が同じ場所に行けるまで。

さようなら。






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