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- 諸行無常 -

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2004年04月01日(木) 深夜の病室

爺ちゃんに逢ってきた。

爺ちゃんはもう意識が朦朧としたりしているので家族が解らない。

おれが病室に着いたのが9時過ぎ。

たまたま居合わせたおふくろと一緒に交代を兼ねて1時近くまで居ただろうか。

爺ちゃんはおれをわかった。

言葉にならない言葉でおれを解って、カンジタ(カビ)によって乾いた舌を見せながら

おれの顔をみて笑った。

お見舞いを渡すと、それを『持って帰れ』とジェスチャーをする爺ちゃん。

衰弱しているのに孫と解って気を遣って居る。

爺ちゃんは事実上、おれの育ての親で

この母方の爺ちゃん婆ちゃんに育てられた記憶が沢山で実家に居る記憶よりも多い。

しばらく見ないうちにいつしか痩せ細り目は小さく窪み、まるで子供の様になっていた。

親父、おふくろでさえ、小さく感じるのだから祖父母は尚更小さく感じるのは当たり前だが。

人は死ぬ数日前になると意識が急にハッキリしたりする時間がある。

おれの行く前の日(30日)は、かなりハッキリ物を話せたそうだ。

少し心の準備が必要かも知れないと自分にも言い聞かせた。

ペースメーカーの音と自動点滴機の電子音だけが響く個室で高濃度酸素吸入と

氷を少しづつだけ欲しがる爺ちゃんを見ながら、ずっと手を握ったりさすったりしていた。

爺ちゃんは吸入機が嫌で、全部管から何から取りたがってしまうので

手にも拘束衣を付けられ、足には抵抗力低下のせいで出来たヘルペス(帯状疱疹)を消毒で湿らせた包帯。

痛々しい。

深夜の病室は故人を思い出す。

病状こそ違えど、その様に同じ光景をフラッシュバックして見てしまう。

これが嫌で、実は中々病院に足を向けられなかった。

爺ちゃんはまだ目で物を追える。

大きな声で声にならない声を発する事も出来る。

しかし故人の晩年はそれが無かった。

何度見ても病人の弱った姿を見るのは嫌な物だ。

外は土砂降りで雨がものすごく降っていた。

帰り道おふくろを実家へ乗せて帰り、その後帰路についた。

おれの好きだった爺ちゃんは、これから坂を下るように体調を悪くしていくだろう。

おれの今の性格の基礎を作ってくれたのはきっと

この爺ちゃん婆ちゃんの賜物かもしれないなと、ふと思う。

良い所が有るわけじゃないけど、困った人の声を掛けたりおせっかいをやいてしまうところ

色んな所に爺ちゃんと似たところを見る。

必然的におふくろも似ている。

爺ちゃんは慕われる人で敵の居ない人だった。

慕われる人が増え嫌う人の居ない人だった。

そんな人間になりたいよね。

どうせなら。。。

爺ちゃん余生を楽しめるような晩年じゃなかったかも知れないけど

あと何日生きていられるか解らないけど

頑張って欲しい。

31日の朝、おれは爺ちゃんのおれを呼ぶ声の夢?を見て起きた。

なんとも複雑な気持ちの夢だった。









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