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- 諸行無常 -

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2003年03月27日(木) 成長は人道なり

他力本願は楽で依存しがち。

自分を省み襟を正すと言う事は容易では無いはず。

自分を放棄し逃げることに「堕落した”楽しみ”と誤認する」感情が有る。

それは何も解決を生まずただ時を無駄に過ごし

ただただ闇雲に毎日の中に日陰を探し日陰で昼寝をする事と同じ。

人は成長無くして生きていくのは不可能で必ず小さな発見を

持ちつつ年を重ねて行く。

仏教もキリスト教も他の宗教も偶像崇拝に頼り己の弱さを信仰と言う物で

補おうとする1つの手段。

生きていて必ず付いて回る物が

寝る事、食べる事、などは作業的に自分が生存している内は必ず付いてくる。

その為に毎日を頑張るのは当たり前だが

この世に生を受け折角生きながら得るので有れば

桜花したい、楽しみたい、幸せを求めたい。

そんな気持ちを持たずして堕落しか感じないので有れば

よほど生きている価値こそ無いのだと思う。

堕落せず己を高める必要は無くとも毎日を楽しもうとさえ

思えば自ずとする事は決まってくるのだと思う。

待てば海路の日和有り と言うが

辛抱強く待っていれば必ず航海には良い天候になる

今は辛くとも我慢によって乗り切ればきっといい流れをもたらす、と言った意味だが

これはこれで良い諺だと思う。

しかし自分が求めるものとは違う。

海路が照らされるのを待つのでは無く、海路のキリを取る為の作業をすれば良い。

それが出来ない困難な事で有るならば

徐々に努めれば良い。 研究すれば良い。

こんな答えの持ち方を持っても良いと思う。

ひとは神様から短い命しかもらえなかった。

その中にも楽しく若い内に過ごせる時間とまったりと時間を過ごせる壮年と熟年

いろんな年によって色んな過ごし方が有るあず。

それぞれが楽しい過ごし方で有ってその時は1度しかない。

わがままを行使しても良い時も有るはず。

そしてこれからが満足に生きられれば・・・。


toto