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- 諸行無常 -

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2003年03月14日(金) 環境

知人がたづねてきた。

話の中で育った環境を聞いた。

兄がいるらしいのだが兄妹ともに親が6〜7回も替わっているらしい。

養子縁組と言う奴だ。

実はおれもかつて養子縁組の話しがあった。

次男だからだ。

親にその話しを始めて聞かされた際に、お金の話しをされ冷めた覚えが有る。

行く先の夫婦が持ち家で財産も不自由ないくらいには有るというものだった。

金じゃなかった。

自分の親が兄貴でも無く妹でも無く おれを選んでその話しをした理由は

解らなくも無いが、家族の一員から外されるような思いがその時は有った。

結局断った。

先ほどの知人の話しにもどれば そのひとは 数回も替わっていると言う

なんとも寂しい話である。

虐待にもあいその爪跡はトラウマだけに留まらず身体にも残っていると言う。

DVの恐ろしさに加えて親の交代劇。

それほど簡単に捕らえられるものなのだろうか。

養子縁組という言葉はとても慈悲に満ちた物のように感じるが

実際の現場に於いてはとても冷淡なイメージしか

俺には無い。

トム・クルーズと元妻のニコール・キッドマン夫妻の子供も

養子縁組なのは有名な話。

果たしてお金に恵まれている事だけで幸せなのだろうか。

おれの知り合いには義父にセクシャルハラスメントを受けた

知人もいる。

それもやはり実態を聞けば恐ろしい。

子供と言う形の人と人との結晶をそれほど簡単に捉える人の気持が

おれには解らない。

たとえば「子供が出来てしまったから結婚する」とか「もう生んでおかなければいけない年齢だから」とか

そんな感情で子供を生んで欲しくない。

かならずしも幸せになれるとは限らないからだ。

もっともっと生命に重きを置いて考えてもらいたいと思う。

作る事は偶然のなせる業でも生を受け育つ事には偶然だけでは無理。

命の重さを計る人の基準のあいまいさ。

それは言葉で語るほど簡単なものではない。


toto