日常妄想
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2002年03月04日(月) |
『自分を探究するのって、少年少女のやることなのか?』のこと。 |
+ひな祭りネタだが、内容がこっちの日記向きだったので、またコピペ。自分に興味を無くしたら終わりだと思うんだけどなぁ。>日記タイトル 自分探しをするのは、自我の不安定な年頃の、歳若い子だけがすること、なのだろうか。よく、『自分を探したい年齢』だの、主に未成年者のたどる過程というか、精神的に未成熟な若年者の特徴のように言われるのを聞くけど、わたしは疑問に思えて仕方無い。自分が常に、自分の居場所を求めていたり、自分て何なの? と思っているせいもあるのだが。
自分を顧みないのってどうなの? それは、周囲のことも顧みない、ってことにならないか。中身が無い、世界も無い。反省も配慮も、成長も変化も無い。ただ流れに乗って生きているというか、惰性で生きているような感じで、なにも考えないで生きてゆく。それが正しい大人になるということなのか。成熟するというのは、『考えなくなる』ということなのか。考える必要が無くなる。疑問を持たなくなる。なにも求めなくなる…… こう考えると、歳を取るごとに死に近づく、というのがわからなくもない。考える葦が、ただの葦になり、やがて枯れてゆくのだ。 つまんないね、そういうの。ってゆーかね、わたしには恐ろしく感じるよ。人間として豊かに生きてゆくには、常に考えること。求めることではないのか?
……って、シリアスだな ( ̄▽ ̄) 日頃、疑問に思っていることだったので。わたしは、自分をガキだと思うので、この手の話題には過剰に反応してしまう。『あんたはイイ歳こいてガキだね。いつまでも成長しないね』とまぁ、こういう意味合いのことを言われるのが嫌なのだ。それはなぜか? 自分自身が、自分をガキだと思っている、成長したいと常に思っているからだ。気にしていることなので、ムカっ腹が立つ。弱虫が「や〜いや〜い」とはやされたり、「チキン」とか言われて(外人かよ!!)ムキになったり、意中の相手を当てられて、「誰があんな奴!!」とか「なに言い出すのよ!?」的な(ドラマかよ!・笑)、アレですよ。図星をさされると、冷静でいられなくなる、というやつ。
とりあえずわたしは、自分をよく知らないようなひとから、決めつけられるようなことを言われるの自体が、気に障る質なので、ひとから言われてムカツク前に、あえて自分で言うことがあります。予防線です。やや自虐的な ( ̄▽ ̄) 無いですか、そういうの。自分で自分には平気で言うけど、他人に指摘されるのは我慢ならねェ、という言葉(苦笑) プライドもへったくれも無く、誰に対しても下手に出てヘイコラする、というわけではなく、ね。確かに自分で思っていることなので、言われる前に先に表明しておく、と。虚偽の申し立てをしてまで演じるようなことはしません。そもそも、自分を貶めて平気な質ではないし、したたかでもないので。中途半端にプライドが高いのでしょう。
……話逸れているな…… (以下、転載部分)
『ひな祭り、ですか。』のこと。 at 2002 03/04 00:11 編集
まるでミュージカルだね ときみは言う 大きな声で歌って 笑う 時に腕を振り上げて怒ったりする 人目を構わず泣いたりもする 素敵だね と言うきみの目が なんだか少し寂しくて 遠いのはなぜだろう
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+テーマ『ミュージカル』でした。オソマツ。この詩の焦点は、『しあわせ』にあります。ミュージカルを演じているのは誰なのか、寂しそうなのはなぜなのか、誰がしあわせなのか。それは、読む側の受け取りかたでいろいろ変わってきますので、レッツ妄想。 想像の幅のある詩が、わたしのいちばんのツボなのです。 +今日は桃の節供なんですな。バレンタイン同様、あっしにはかかわりのねェことでござんす、な感じです。なにをするでもなし。ひな祭りはともかくねー。バレンタイン……
わたし、もう二十年以上生きてるが、恋愛対象にあげたことって、いちども無いよ。そもそも、惚れた腫れたというエピソードが、自分には無いのだった。年頃の女として、寂しい人生だね。女盛りのはずなんだけど(笑) でもまぁ、彼氏作ろうとやっきになっているひとを見ると、なんで男のことしか頭に無いの?(某番組で、たかの○○も言ってたが・笑)って思っちゃうほうなので、自分に男がいないことについては、なんとも思わない。
ただ、精神的な部分において、うらやましいとは思う。今日、夕方遅くに、いつものごとくに、チャリンコくん飛ばして郵便局に行ってきたんですが、交通量のわりと多い勝鬨橋のうえで、ラブラブしているカップルが居て。冷たい風が吹いているうえ、ひとも車も通るのに、夜景を観ながらチューしてんのね ( ̄▽ ̄) 夜景、確かにイイ感じだからね。ジモティーもオススメよ (笑)
こういうひとは、ラブ・イズ・ブラインドで、まわりのことなんかアウトオブ眼中なんでしょう。恋愛に逃げ込むつもりは無いけど、なりふり構わず、好きな相手に没頭できるのってのが、うらやましい。信じる信じないというんじゃなく、そこまでひとと深く関れるという、それが、ひどくうらやましく思うのだった。 これ書いている途中で、友人からメールがあって、こういうことを考えているとレスしたら、『自分でいればいいんだよ』と言われた。いまの自分でいることに不満を感じているから憂鬱なんでありι 自分が通用するのなら、わたしは今みたいな性格にはなってない。自分は一体何なのかなんて、思春期の少年少女が悩むようなことを、未だに考えないでしょう(苦笑) 疎外感や寂しさも、たぶん感じない。
ひな祭りかぁ…… わたしは、父方の孫で初めて生まれた女の子だったので、カーネルサンダースにそっくりだった祖父は(ネタじゃなく、マヂで似ていた)とても喜んでいたというが、怒られた記憶しかハッキリと残っているものが無い。 いつでも、どんな場所でも、受け入れられ、可愛がられていたのは、常に弟のほうだったので、わたしは小さな頃から、寂しさと、居場所の無さを感じることが多かった。こうして、もともと持っているものを、わたしは解消できずに、いままで生きてきた過程で、ますます育てる結果になっている。 この、深いところに長く持ち続けているものを改善するのは、なかなか難しいだろう。
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+そんな感じです。当たらずとも遠からずというか(日本語間違ってます)、冒頭部分(前半部分、が妥当か・笑)、本文と全く関係が無いような有るような ( ̄▽ ̄) あるつもりなんですが、なんかよくわからん文になってるなぁ。日付け、わけるべきだったか?ι
親の愛情を感じること無く育った子供は、自分に自信の持てない人間に育つ傾向があるらしいが、わたしはどうだろう。愛情を感じないわけではなく、足りない、と思っていたクチなので、微妙である。先述のように、こうした幼少時代に芽生えたものを、人生経験を積むなかで育ててしまったのか。それとも、人生経験のなかで、様々な影響を受けて変わっていき、現在のわたしになったのか。要するに、おんなじ意味なんだけどね(笑)
考えながら、歳を重ねてきた。これがわたしの性分なので、これからもぐるぐると考えながら生きてゆくに違いない。マイナス方面のことばかりでなく、どうせなら、いい方向に思考を向けることのできるような生きかたをしたいものだ。 考えることから簡単には解放されそうにないからこそ、ひとや物事に、何にも見えなくなるほどに打ち込めるひとを、うらやましく思ったりするのかもしれない。人間は、無い物ねだりだから(´д`) 相思相愛の恋愛なんて、まさに究極の位置にあるわけですよ(笑)
あ。まとまった? (…ι)
(0305 03:37 UP)
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