日常妄想
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2001年07月20日(金) 『慣れたよ、もう…』のこと。

(at 2001 07/20 18:40 編集)

+寂しさの裏返しで、自分を知ってもらいたくて知ってもらいたくて、いつも焦がれているわたし。だけど、ひとに甘えられないわたし。信じられないわたし。だから、積極的になれないわたし。自分の本質を変えられないわたし。恋人がいない、という意味でじゃなく、長い時間『ひとり』でいることに、もう慣れた。自分はこんなもんなんだというふうに思いたくないが、現実はいつでも、それを思い知らせてくれる。自分に失望することにも、寂しさに嘆くことにも…それに溺れて自分に酔うのにも、慣れてしまったよ。つらさは、いつまでも軽減しないのだけど。
+家に籠るのはよくない。普段から少ない、ひととの接触が、皆無の状態になるから。なにもせずボーっとしていると余計なことに思考が行くから、それがまるで仕事のように、サイトを作ったり、こうして書き物をしたりしている。好きなことに打ち込むと、時間を忘れる。それは、自己からの逃避行為かもしれないが、創作や表現というのは、自分を見つめることでもある。逃避も、なにかにつなげてゆけば、そこで行為の意味が生まれる。生きているなかで、無意味なことなどはひとつも無い、と思うから。
+逃避と言うとたいそう卑怯で大袈裟な行為みたく聞こえるが、要するに、気持ちが不安定になって、するべき物事にとりかかれなくなる、結果、投げ出してしまう。ほかのことをすることで逃げてしまう、ということだ。そういう自分に気がついたときには、なぜ自分が苛立っているのか、落ち着かないのか、取り組めないのか、を考えてみる。あとから原因が判明する場合も多々あるけれど、原因がわかれば、対処のしようもある。解決できるか否かはともかくとして、自分のなかで、納得をすることができる。まわりや、自分の気持ちを顧みることができずに、非行に走るしかないような子供の年齢ではない。いくつになっても、どうしようもない問題というのはあるものだけど、幸か不幸か、わたしは内向的な性格のぶん、自分を顧みる機会が多いので、自分や周囲について考える機会がある。それが解決策ではないにしろ、自己を保つことはできる。ええかっこしいだしな(笑)
+ともあれ、人間関係が円滑に行かないのは、結局は、こうしてカラ回っている自分が原因になっているのだろうけど。エラそうに受け身だしね。何ごとにも受動的だというのは、SMのMとおなじで(笑)、裏を返すと、難しく、お高く止まっている、エラそうな状態なのだと思う。一見、自分の意志が無く、なんでも受け入れるような感じがあるが、考え方では、周囲やSが(それはいいってもう・笑)、何かをしてくれるのを待っている、ということなのだから。ときには、周囲が自分の思い通りに動くよう、働きかけようとする。しかし、お仕事ならともかく(笑)、魅力や、さほど価値の無い相手に対して、周囲が関心を持ってくれるのだろうか?何かをしてくれるのか。答えは、否、である。
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+わたしは、漫画や小説などにおいて、ぐるぐると悩みを抱えていたり、なんらかの葛藤や哀しみを秘めているキャラクタアにハマることが多い。自分と似ているように思われる精神構造のそのキャラに、自分を見ているのだろう。なぜハマるのか、というと、かれらには必ず理解者が居るからだ。物語の中に居なくても、読者である『わたし』が居る。作中に理解者が居るなら、うらやましいとか思いもするし、感情移入し易いのはたぶん、間接的にわたしが、自分を哀れんだり慰めたりということをしているのだろう、と考えている。
+この手のキャラは、絵的にもツボな場合が多いってのもあるんだけどね…(笑) わたしも、影のある美形だったら、まだ絵になったかもしれなかったのに、とよく思う(苦笑)
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+海の日か… 夏が喜べなくなって、どれくらい経つのだろう。海に行きたいってわけじゃなく、ね。
+寂しい生活には慣れたけど、寂しさにはいつまでも慣れない、という話。


書いてる人:ミァハ(双星たかはる)
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