日常妄想
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2001年04月21日(土) 『不思議な歌姫』のこと。

(at 2001 04/21 02:10 編集)

+まだ仕事があったが、今日は早めにあがった。ミュージック・ステーションに出演するCoccoを観るためだ。テレビには殆ど出ない彼女の、最後の姿を観るために。
わたしがテレビで彼女を観たのは、プロモの映像を除くと、三回あるか無いか。歌うのをはじめから終わりまで観るのは、最後にして初めてだった。
+Coccoが、一風変わったキャラの持ち主であることは、雑誌の特集記事などで多少知っていた。某週刊誌の特集で、楽譜の読み書きができないこと、曲づくりの際は、イメージを口頭でスタッフに伝えること、曲は、アレンジなどが既に完成した状態で頭に溢れてくる、など、ほかには、バレエと絵を長く勉強していた、ということを知った。
自分を名前で呼ぶあたり、ハマサキ某みたいだなぁと思ったが、そんなのは別に音楽性に深く係わるほどのことでなし、歌うときの手つきがちょっちコワイとか(笑)、腕に、どう見ても自分でつけたのだろうという傷の跡がたくさんあるとか、これも別に、Coccoという歌い手の存在を、わたしの意識から遠ざける材料にはならなかった。むしろ、ひとりの人間としての彼女にも、興味が湧いた。
詞がだんだん抽象的になっていくという批評も見かけたりしたが、わたしは、相変わらず彼女の書く詞に掴まれていたし、なにより、孤独感や、繊細な心から生まれる歪み、斬り付けるような鋭い言葉などに相反するような、メロディーの彩りが好きだった。
+かくして、活動停止前の最後のテレビ出演であろう彼女を観たわけだが、なにやら近寄り難い雰囲気で、まわりからも浮いており、正直、異様な感じさえした。順番待ちのあいだはカメラを嫌ってか、最後だというのに顔を伏せているし、話をするのも、なんとなく落ち着きがなくたどたどしくて、観ているこちらがハラハラドキドキ。
が…歌い出したらどうだろう。細みの体は力に溢れ、ひとが変わったような堂々の態。最後は、まるで舞い終えたばかりの踊り手みたく、せわしなく可愛い振りでお辞儀をし、達成感か、あるいは開放感でか、嬉しそうにピースサインかなにかを出した彼女は、なんともいえない、いい表情を瞬間浮かべて、小走りに、スタジオから消えた。
その様子に、わたしは変に感心して、彼女を見ることができてよかった、と強く思った。ずいぶんと人間臭い歌を歌う、人間のはずの彼女に、お伽ばなしやファンタジイに出てくるような、精霊だの妖精だのという類の姿まで重ねてしまった。
そして、以前作った、自作のキャラが物語のなかで歌う歌を、ふと思い出した。

ハミングのような気安さで きみは楽を紡ぎ出すんだ
意識をしていないのが恐いよ──どういうふうに聴こえるのかを
自分の思うまま振る舞っている そんな感じさ

親しみのある明るい音色
転がる鈴の音みたいなスピントソプラノみたく
計算してもそうはいかない たぶんきみの天性なんだよ
自分で売り込みしなくても みんな気づくよ

意識をしていないのが恐いよ
きっときみの天性なんだよ
みんなの笑顔がカノンになるよ
きみはそういうひとなんだよ ねぇ

だから歌姫ディーヴァ 消えたりしないで
不思議な精霊ディーバ 歌い続けて
虹のように消えたりしないで
きみはそういうひとなんだ
そういうひとなんだよきみは ねぇ?

+Coccoのイメージ、というわけではないが。週末の休みのあいだに、アルバムを買うことにしよう。


書いてる人:ミァハ(双星たかはる)
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