2005年05月03日(火) あたしにはきっと夢がない 藤原基央×鹿野 淳の対談を聞いてそう思った。 夢はまぶしいものだ。 「ほらごらん」と、言って見れるものじゃない。 見たら目がつぶれる。 でも見なきゃ、俺は生きてゆけない。 夢を見るって言うのはそれくらいリスクのあることだと思うし、 夢を見ている人は、そのリスクを背負ってるんだと、 俺はそう思う。 藤くんはそういった。 あたしには、そこまで見れる夢がないのだと気づいた。 一応、地に足をつけて、精一杯生きているつもりだったけど、 本当になんでもない、薄っぺらいものなんだと気づいた。 ユグドラシル(BUMPのアルバム)の、DVDを観ていて、 生かされている、生きている、呼吸をしている。 藤くんが原点を歌ってるような気がした。 BUMPのファンであると言うこと。 ミーハーな気持ちが、多分そこには存在する。 もし、例えばの話、 藤くんと一対一になって話が出来るとしても、 あたしは顔をあげれないと思う。 この人に向かう心があたしには、多分ない。 でも、この人から何かを得る心はある。 心の顔は、とても上げられないが、 今見えている顔は、多分真剣に見つめることは出来るだろう。 夢、はそんなに簡単に並べられるものじゃないと痛感した。 痛感と言うか、同感だった。 やっぱりあたしの目は、 どこか一方からしか伸びていないんだと思った。 そっちに痛感したな。 多分、それはそれで幸せなんだと思うけど、 あたしは、それじゃ多分満足しない。 基本的に、「楽しくいられればそれでいいじゃん」だけど、 いかに楽しく、そして人間として深く、 あたしが、固有名詞以上の価値を生み出せるか。 いい女になりたいけれど、 いい女より、人間になりたい。 別に妖怪じゃないんだけどさ。w いい人間じゃない。 あたし、あたしになりたい。 あたしは何だ。 あたしのポリシーは何だ。 あるのか、ないだろう。 自分をもっと良く、探求する時間と、 きっかけと、それについていくだけの自分の能力と、 経験が欲しい。 欲しがっていたら始まらない。 経験は進んでするものでもない、 かといってやってくるものではない。 偶然か必然か分からないけれど、 生きていれば必ず「経験」は、積み重なってゆく。 やりたいと思うことをやれば、 やりたくないと思うことをやり遂げれば、 観たこともない世界や、 自分とは遠いと思っていた世界に、 足を着けたら、何か変わるかもしれない。 そのままかもしれない。 だけど、それはすべて自分の経験で、 自分を自分とする材料となる。 いろんな意味で、 精一杯自分を生きてやろうと思う。 そんな、元彼に振られて一年目の日。 元彼に教えられたBUMPで、 自分が少し広がった日。 他の奴らがなんと言おうと、 あたしの友達がなんと言おうと、 元彼さん、あたしは君が好きだった。 多分今も。 嫌いになれる要素はたくさんなんだけれど、 嫌いになれないのはきっと、 どこかに君だけの魅力があるから、 あたしが感じた、君の魅力を覚えているから。 だけど、元彼さん。 君はあたしの今の大切な人のほうが、 多分きっと、あたしの眼がみる範囲では、 何十倍も魅力的なところがあるよ。 別にいい男だとは思わないが、 面白い男だとは思う。 人間っぽい人だと、あたしはどこかで感じてる。 元彼さん、君はあたしを、思い出した? |