| 2004年01月19日(月) |
江利チエミは辛さを忘れるのに10年かかったわ と言った |
タイトルは、高倉健と別れたことを示している。
何か辛いことや悲しいことがあった時、
「いつか時間が解決してくれる」
という人がいる。 私もそう思ってたふしがあったし、 そう言ったこともあったと思う。
でも今は,断固としてちっがーう!と、断言する。
いつか心の痛みが薄らいだとしても それは時間が経って干からびて 粉になって 風にのって飛んでいったからではなく、
単に凍結させてしまったからなのだ。
例えば、 あんなにやんちゃで乱暴でじっとしていなかった小学生の男の子が ある日を境に ぴくりと動けなくなった時。
例えば、 口から胃がでてくるんじゃないかってほど、悲しくて吐いてじっと うずくまる時間を経験した時。
例えば、 肉親からとんでもない言葉を投げられて、何かが破裂した時。
それから数十年経って、彼も彼女も大人になって その当時と全く同じ痛みを感じなくなったら それは 時間が解決したのではなく、 悲しみ、怒り、寂しさ、不安を 埋めてしまったのだと思う。
そして まるでタイムカプセルのように深く深く埋めてしまった 悲しみや怒りや寂しさや不安は その存在さえ忘れ去られる。
深刻な傷であればあるほど 忘れてしまう。 そうしないと狂うから、脳みそは耐震機能を発揮する。
くすぶりがマックスに達した時、 体にサインが出る人 心にサインが出る人 はっきり出る人 じわじわと出る人
「わかって!私(痛みや怒りなど)を 知って!存在を認めて!」 そう示しているのに気付かない。 ただ、体が痛かったり 心が塞いだりする。 診断は原因不明。
大人になって、 喉の奥や、食道の途中や、みぞおちのあたりに なんやよーわからん抵抗を 感じることがある。 でも なんやよーわからんから 放っておく。
それは干からびず 何十年も根っこを持ちつづけた痛み。 怒りや悲しみや寂しさや不安。
なぜか理由はわからないけれど 体のどこかが抵抗を感じて 堂々巡りな考えに陥るとき それは 干からびていない過去の痛みが疼いているから。
本人も腰を抜かしてしまうような 昔の痛みと向き合うこととなった大人を 何人も見た。 それは、決して 「いまは辛くても いつかは時間が解決してくれる」 ことはないということだった。
その痛みを手のひらですくって 一緒に眺め、それを昇華させてあげたいと強く思う。
小さな第一歩として 私ができることは何だろう。
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