目口覚書
■目口覚書■
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2002年10月30日(水) 子を持つということ

昨夜、ほかほか焼き芋を抱えダンナ実家訪問したのは
ダンナ姉が ここずーっと寝たきりで休んでいるから。

彼女のお腹に宿った命が 警告を鳴らしたのか出血。
絶対安静の話を聞いたとき どうか無事で!と
祈ったのも本当。そして義姉が女の子を抱っこしている
イメージがなぜか浮かんで浮かんで仕方なかったのも本当。

同時に自分のことで凹み続けていた私は もうひとつの心で
「わたしとおなじめにあえばいいのに」
「わたしとおなじくるしみをあじわえばいいのに」
と思った。

無事産まれたら、わたしは夫兄弟の中でただ1人
子なし嫁になる。
どんどん惨めな自分を想像し、何より惨めに落ちていった。

私は人間として 女として最低な思いに縛られて
人の不幸を望むような女になっていて きっと顔は鬼で
鬼畜は私のほうだった。
もう何もかも 息をつくのも嫌で。


そんな時もらった昨夜のあったかい焼き芋だったのだ。
私が袋の温度を感じながら涙が出た理由をわかってもらえるだろうか。


それを抱えてカバ実家の玄関をあける。
思いのほか義姉は元気そうで、ずっと寝ていた結果
今は1センチくらいに育っていること
ちゃんと心臓が動いていること

それが未確認のうちに流れてしまうのは
よくあることなので決して母体の責任ではないが
(おそらく私を慮ってそう言ってくれたのだろう)
心音がわかるということは 育っているということなので
これからは母の責任!と言われて安静を保っている。

彼女は毎週国内出張、毎月海外出張というハードな仕事を押さえて
今は それに煩うことなくただゆっくりを時間を過ごしている。

わたしなら きっと仕事はどうしようこうしようと
思い巡らせているだろうな。

彼女と喋っていて ふと 
「わたしはなんでも大事(おおごと)に考えすぎて
より複雑にしてしまっているのではないか」と思い当たる。
何より義姉は楽観的に切り替える達人だから。


ほんのちょっとの訪問のつもりが、コーヒー2杯もおかわりし
彼女は焼き芋を食べながら お互い笑ったり泣いたり。
やっぱりカバトットの話にもなったけど、
自分自身で複雑化してるかなとか、
実は単純に手のひらのってたらいいのに
私が頑張って手のひらにカバ乗せてたのかなとか、
そりゃカバも居心地悪いっちゅーもんやし、手もしびれる。
実はカバは自分に乗ってほしかったんじゃないかなとか、

なんか ふわんと思って でもあまり考えすぎないようにして
そのうち店からお義母さんも帰ってきて、
もろみ酢一本土産に持たせてもらって夜中帰路につく。


わたしが子を持つことにこだわらねば
この苦しみは大きな割合で和らぐのかもしれない。

なぜわたしは子が欲しいのだろう。
「子を持たねばならない」という強迫観念にも近い気持ちは何なのだろう。

わたしには性欲がある。
これは子を作りたいという自分の本能に違いないと感じたとき
自分の体の奥底で望んでいる種火を思って泣いたときもある。

そんな思いを抱えている私が受けた昨夜のセミナーは「第二次性徴」
そして わたしたちは自分が思っている以上に 女性という性に
縛られていることに気づいた。




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今日 公休だったカバトットと お店の手伝いのあと
彼は自転車をひきながら 二人で徒歩で帰ったのですが
その道すがら、ずっとカバは屁をこいておりました。
さ、さすが!焼き芋パワー!!
プッププクピノペッペケペ!!!!


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