毎日、enpituの設定が無効になり マイセレクト登録がルーティンな目口です。こんにちわ。 なんでやねん。
この寒空に、外で仕事は辛いれす。やっぱ風邪ひきました。 あと、背中がとても痛いです。
今夜は仕事関係の人と 飯田橋で食事会だったんですが 体調不良のためキャンセルです。明日も仕事だし。あぁ背中イテェ。
さて、 今年いっぱいの予定で 毎週一回とある勉強会にいってます。 内容はコミュニケーションから心理学いろいろなんですがね、 先日 ちょっと心に残ることがありました。
その日は、エリクソンの自我の発達のところで、 乳幼児〜児童期を学んでました。
乳幼児期には 泣くと抱いてもらったり おっぱいをもらえるということで 安心や信頼を感じ、 基本的な希望(自分は生きていっていいんだ という信頼感) を得るという話の時にですね、
講師が「皆さんは『三歳児神話』をどのように理解していますか?」 と質問してきたのです。
そこで参加者のひとりが、 「三つ子の魂 百までも といいますか、 3歳までになされる人格形成は 将来大人になっても 大きな影響があるから、特にその時期は 母親は注意して育成すべきだ と理解しています。 私も子育ての時 たくさんの人にそういわれ また自分自身もそうだったので注意しました」
てなことを述べはったんですわ。 すると講師がこういいました。
「はい、そのように一般的に社会通念として 信じ込まれていますね。 過去、母子共に3歳までは一緒にいるほうがよいといわれていました。 しかし、それには根拠はありません。
その通念が、家庭の事情で0歳児保育に預けざる得ないお母さんや シングルマザーに罪悪感を感じさせることにもあるんですね。」
その時、わたしは目の隅で、意見を発表した女性が 硬直してくのを感じておりました。
講師は続けます。 「例えば 摂食障害(過食症や拒食症)や 何か心理的原因をみられる障害が あった時、「母子関係理論」に結びつけることが多い。 (その人と母親との関係の中に 原因となるものはないか探したりする) しかし、実はそれは男性学者の説である。
つまり母性を「受ける側からの論説」である。 これからは母性を発する側(女性学者)からの論説も交えて 考える必要があるのでは」ちゅうことで。
わたし うーん と考えました。 確かにこの世界、著名な女性学者が非常に少ない。99%男性 な感じ。 男性学者だから母性のことはわからんやろ ではなくて 偏らず広範囲な意見を取り入れようという提唱と私は捉えた。
学者を性別で考えてなかった私には ある意味 目からうろこなお話でしたの。
その後 質疑応答になって例の人のグループが手を挙げた。
「さきほどの『三歳児神話』の話ですが、それでは 3歳まで母親と共にいることは必要ないのでしょうか。 自分の経験からいっても それは必要だと思いますが」
きたきた。
講師は、 「(3歳までという時間の)量(長さ)でなく質なのです。」とはじめた。
3歳までの幼児期にスキンシップなどを通して 基本的な信頼感や意志が生まれるのはわかっている。 「例えば育児でイライラしている母親と12時間いるよりも 心の状態のよい母と1時間半いるほうが その子にとってはよい。
社会的通念を『信じ込まされている』ことが問題で〜云々」 という話が続きます。だから「神話」なのだ、と。 わたしむっちゃ納得。 その神話も結局は男性学者が作った諸説の張り合わせ? そしてそこに母の影響偉大なりと両性が(違う意味で)納得する。 母性がそこに縛られる、としたら被害者と加害者は同一。
ま、言葉だけきくとお母さんの立場からいったら 自分の存在が無視されたみたいな感じが したのかもしれないけど、論点が違いますわな。
簡単にいったら、子は母といなければいけない というより 他者との交わりの中で愛情をたっぷり受けられればよい ということ?
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