昨日の裸エプロンV撮りは、滞りなく終了。
本当は、先々週に行なう予定だったんだけど、 私は神戸で司会者さんだったので、その日の仕事は まるごとアシスタントちゃんが請け負うことに。
それまでにも、分割してパートを受け持ってもらってたので 私は結構安心してお任せ気分。
9時から18時まで さぞてんぱっていただろうが それも経験♪経験♪(^^)
その時ビデオ部隊が、彼女の初舞台を撮ってあげようと 申し出たらしいのだが、当の本人は 「まだわたしはかけだしで、自信がないので絶対やです!!」と 固辞したという。
もったいなー。
かけだしで、自信がないからこそ、撮ってもらって反省材料に なるんやんか。 そう思ったとき、純粋に「なんで嫌なんだろう」と考えてみた。
自信ない出来だろうから、後に残したくない というなら ビデオを誰かが見るということが前提になる。
でも、人に見られるのはOKな彼女。 ということは、自信のない自分を自分が見ることが嫌なのだ と。
誰だって そういう己の姿に向き合うのは楽しいもんじゃない。
そこを勇気持って向き合った後に 創意工夫が生まれるのに、 とそこまで考えて いや 違う。 問題は、向き合う勇気のない自分に「気づいてないこと」だ。
彼女は 自己認識が低いと感じる。 もやもやしていることは気づいていても その根源はなんとなく自分には不快な気がするので蓋をしてしまう。
好きにすればいい。(いや これは捨て鉢じゃなくて ホントに したいようにすればいいと思う)。 「アタシ 苦手なのー やなのー だからやんなーい」 これのほうが よっぽど自己責任だ。 できないのは自分のせいだとわかってんだから。
私がひっかかるのは、蓋をしていることに気づいてないこと。
わたし達の仕事は、今聞き手がどんな状態であるかに敏感でなければならぬ。 聞き手の状態は、実は話し手の状態が反映される。 話すほうが緊張していたり怒っていたら、聞き手も不快感を感じる。
だから、話し手である自分が今このときどんな状態でいるか 敏感でなければならないと私は思う。 そのことに鈍感な彼女。感覚では黄色点滅しているのに あえて蓋をして鈍感でい続けることにいつか気づくまで あたしゃ ほっとく。
んなこと、人に言われれば言われるほど蓋は堅牢になる。
旅人のコートを脱がそうと競争する北風さんと太陽さん。 力いっぱい北風が吹いても コートの襟はよりしっかりと合わせられ、 穏やかな日光を降り注げば 何の力もかけないで「自ら」旅人はコートを脱ぐ。
「自ら」でないと意味がない。 それが一番響くから。
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