以前行ったセミナーで お隣に座ってた女性の話しが ずっと残ってた。 彼女は高校のいわゆる保健室の先生。
ある時、男子生徒が保健室にきた。調子が悪そうなのだが、 どうしたのか? どこか痛いのか? 熱っぽいのか? いつからか?
そんな質問に彼は答えられない。 業を煮やして 先生が 「お腹が痛いのかな?」と聞くと 生徒はやっと「・・・うん、そんな気も・・・・・・」
私なら はっきり言わんかい!と胸倉つかみそうだ。 できるだけ、彼に症状を言わせようとするのだが 終始この調子で、相手が喋ってくれるのを待っている というか、自分の状況を相手に伝えらない。
サボりたくて保健室に来るタイプの生徒なら もっとしゃきしゃき喋るんだろう。 しかし彼が特別というのではなく ここ最近 彼女のいる学校では保健室に来る生徒で、 特に男子生徒にとても多いとのことだ。
ほどなくして、彼の母親が担任の計らいでやってきた。 そして保健室の先生はその母親に驚かされる。
終始、母親が喋り続けている。 「昨日から 調子が悪かったのよ、ね?」 「頭痛いの?痛いのね。熱もあったのかな、あ、あるわね」 「食欲もなかったんですよ。ね?」 昨晩からの様子をひとりで機関銃のように喋り嵐のように去っていったという。
はじめは先生に向けられている会話も、最後は必ず息子に投げかけ 彼にかわって言葉を乱射しているような感じ。
その勢いに 先生は唖然としそして母親が来てから ひとっことも喋らなかった生徒の背中を見送ったという。
このセミナーで、ドクターが「ディスカウント」に関して講義した。 人は知らず知らずのうちに相手の能力を「値引き」していることがある というのだ。
近所のおばさんが、子供に声をかける 「あらぁ 大きくなったわねぇ いくつになったの?」 そして 隣の母親がすかさず答える。 「10歳になったのよ、ねえ?」
近所のおばさんは、質問を子供にした。 母親は、おばさんに返さず子供に言った。 ここに会話のキャッチボールは存在しない。
子供が2歳3歳の時にしていたことと同じことを 自分の年齢くらいちゃんといえる年になっても母親がしてしまう。 これは、子供の答えられる能力をディスカウントしている、という。
靴紐をすぐ結んであげる母親は、「あなたには出来ない」と 結ぶ能力をディスカウントしている、という。
この話しをきいてすぐに浮かんだのがわたしのいとこ母娘のこと。 よく娘をつれていとこは家に遊びにきていたのだが、 わたしが娘に「何年生になったん?」「授業は何が一番好き?」 この質問に 母が「4年生やんな」「そんなんあらへんやんな」 と答える。顔は、終始娘のほうをむいて。
「ちょと待て!あたしはこの子と喋ってるねん!あんたが答えな!」 と言って「学校にさ、じっと座ってない子とかおる?」って聞いた。 その時、他動性注意欠陥障害について調べたかったので、聞いてみた。 所謂、学級崩壊と病との関連性を知るには まさに現場の声だ。
また親が「そんな子、おらへんやんな?」と言ってきた。まだゆうか。 でも、自分がいちいち子供が答える機会を奪っているなど母は気付いてない。
わたしは母親を無視して ずっと娘のほうを見て待った。 やっと娘が口をひらいた 「うん、おるで。勝手に立って、教室出て行くねん・・・」 驚いてたのは その母親で「えええ!そんな子おるんかいな!」
あんた、毎日この子とおるんやろ。何会話してるねん。 いや会話でなくって 一方的な話し、なのかな。
あなたはひとりでは何もできない、そう子供の能力をディスカウント することで自分の重要性を手にいれる親がいる。 わたしは必要な存在。
だから、いつまでも自分が必要でい続けるために、 大人になっても値引きし続け、それに束縛され続ける子供(年齢は大人) も少なくないかもしれない。
親子関係だけではない。 セミナーで同席した介護ヘルパーの女性は、こう言った。
「ケアホームの老人に、わたしは気を使ったつもりで あまり手伝いをしてもらわなかった。 でも、食事時にお箸を出したり、お茶碗を並べてもらうようにしたら 自分にもできることがある、と老人たちは自ら動き出し明るくなった。 (それまでは できるまでただ座らせていたそうだ) わたしは、無意識に老人たちをディスカウントしていたんですね。」
わたし自身、仕事で10代20代前半の人達と接していて 特に男の子の自発性のなさが、気になっていた。 自分から話しかけない。 自分から質問しない。 自分から笑いかけない。 目をあわせられない。
もちろんそうでない男の子もいる。 でも押並べて女の子のほうが、頑張って(言いかえれば無理して)いる。 そして、その場でも世話をやく女の子、やかれる男の子の図ができている。
それを見るにつけ、少し重くなる。 無理をしない男の子は それはそれで正直だ。
自分の価値を 相手に必要とされることだけに見出そうとせねば そんな女の子は正直な男の子にも、正直にいられるのでないだろうか。
この話しは、息子を持つ母親が云々とか、子を育ててる親云々の話しでなく もっともっと元を辿れば自分自身がどのように育ったか育てられたか その中に、見えない呪縛があって、今でもそれに足首掴まれていたら それをほどけるのは 自分しかないということ。
そして知らずに相手を値引きしている自分への戒めを感じた日の話しでもある。
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