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日記

2013年06月02日(日) 無縁社会

今日も雨。
車で外走ってたら、マクドナルドの駐輪場でジャージを脱いでる女性が居た。ズボンの下が超ミニスカート。めっちゃ生足。最初マジで下着姿になったのかと思ってびっくりした。
カッパ代わりだったんだろうか…上はそのままだったけど。むしろ防寒かな。
今日もまだ寒い…。


今日は昼頃から眠くて仕方ありませんでした。
最近本読んでたらすぐ眠くなる。翻訳ものが駄目らしい。しばらく止めとくかな…。
でもそろそろお話が読みたいので今度は小説借りたいんだよなぁ。小説なら海外ものがいいかな…。
今度図書館行ったら探そうと思ってる本があるけど、眠くなりそうな気はします。

今日はとりあえずまだ読んでなかった本を。
「無縁社会」というタイトルで、無縁死、孤独死に至るまでの人生を追ってる本。
ホント誰でもひとごとじゃないですよね。
結婚してたって相手に先立たれて何年も1人になったりするし。
子どもが居たって、先に死んだり疎遠になったりもするだろうし。
こういう話は年取ってくると考えさせられますね。

そういえばちょっと思いだしたこと。
小学生の頃、祖父母の会話をたまたま立ち聞きしたことがあったんですが。
それが、
「○○さんが亡くなったんやって」
「そうかぁ。ついにお迎えが来たかぁ。良かったなぁ」
みたいな会話だったんですよ。
人が死んだことを「良かった」と表現したのにびっくりしたんですが。
同時にちょっとほっとしたのをすごく覚えてる。
あ、大人になって、年を取ったら、死ぬことって怖いことじゃなくなるんだなって。
落ち着いて迎えられるものなんだなって。
このあとも、死を「お迎え」と表現して結構穏やかに話してましたからね、祖父母。
まだ小学生の自分は、死って怖いものだったから、凄く安心したんですよね。

今思うと私が小学生時代ってことは、このときの祖父母はまだ50代だったんですが。
50代でそんな風な気持ちになれるものなのか…そういえば今、母が50代だけど、死に関する話はちょこちょこ出てきてるなぁ。
おじいちゃんとかおばあちゃんとかじゃない、年の近い身近な人が亡くなっていくと意識しだすのかな。
私はまだ同級生付近で誰か亡くなったって経験ないですが。
高校時代の部のOBが20歳で事故で死んだぐらいかなぁ…私とは年代がずれてるので最初からOBとしてしか会ったことはありませんでしたが。

私は自分が死んだあとは、自分の遺骨や墓がどうなろうがどうでもいいんですが、考えとかなきゃならないことなのかな。
自分が死ぬとき、周りに人は居るのかなー。
まだまだ先の話…だといいけど。
孤独死は寂しいけど、親より先に死ぬわけにもなー。



あ、ウィザード結局先週分から見てません。
まあその内…見る。
まだ橋本さんが抜けないのが困ってる。
これがなければもうちょっとな…。


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シゲ