Simple Song
DiaryINDEXpastwill


2001年11月14日(水) もし。



IF.


「もし 忘れることが必要になったら。訪ねなさい」


私はその日。
誰とも約束もなく、ひとつも予定が無かった。
ノンビリと、街を漂う。
喫茶店でお茶を飲む。
本屋さんで、こっそりと立ち読みをする。
ただ、この季節ともなれば、
木枯らしが身に刃のような冷たさを投げつけるから、

平気だ 平気だ と笑いながら歩いているものの
すこーしだけ骨身に
「淋しさ」という糸が絡み付いてくれる。

もう冬であるという事からか
木の葉が散りきった広葉樹を見ると余計に
「終わり」という言葉が浮かぶ。

孤独という言葉の意味について考える。

「ひとりで過ごす」事と「独りで過ごす」事は微妙に違うのだ。

誰一人として見方が居ないような錯覚すら覚える。

孤独の意味を思う。

携帯のメモリー。
HDDの記録。
それらは、ほんの少しの操作で、
すべての情報を消し去ることが出来る。

でも、人間のメモリー。
これは、時間がかかるが、
心に出来た傷を"忘れる"という「カタチ」で
薄くする機能がある。



実際はその中に情報が山のように詰まっている。
消すには生物学的なカストロフィーしか残っていない。

しかし、存在ごとの消去の意味なんてない。

もし必要なら、死んでみてもいいが
リアルな世界にはリセットボタンは存在しない。

生物学的な停止 を 選択するぐらいなら

時間をかけてでも、忘れる もしくは 忘れるための儀式をするべきだ。

そのあとの可能性が0とは限らないかぎり。



昔、旅先の占い師に、呼び止められたことがある。


「忘れるための呪文をあげるから」


「もしも、どうしても生きていきたくなくなったのなら」



「私を訪ねてきなさい」

数千キロも離れたその街へ。私は向かうべきなのか。

もしも、彼女の呪文が効いたとしたら

過去の私は、どこへいくのだろう。

生まれてから死ぬまで、すべては私だというのに


もしも、私が「それ」を忘れてしまったら

その時を生きてきた私は、消えてしまうのだろうか。




の投票ボタンです。





tomo |MAILHomePage

My追加