潔 ノ 森

2006年08月16日(水)

覚書 (いのちの森を生む 宮脇 昭 著 NHK出版 より)

 火をとめた土地本来の森

 森は防災・環境保全林として機能するなどとよくいわれる。しかし、それを具体的に現実のものとして体験した人は少ない。半信半疑の人も多いと思う。われわれがそのことを現実に、最もはっきりした実例として見たものは、あの不幸な阪神・淡路大震災である。
 震災が起こった一九九五年一月一七日、私はボルネオのサラワク州の山地で熱帯雨林再生の現地調査をしていた。CNNの速報版で西日本に大きな地震があり、たいへんな被害が出ているとの第一報を聞いた。私はそれまでの現地調査で、土地本来の本物の樹種は深根性・直根性で地震や台風にも強く、また照葉樹林帯の常緑の木であれば火事にも耐えられると公言していた。
 もちろん現代の科学・技術、そして生態学をもってしても、地震や台風の発生を止めることはできない。しかし、われわれが生態学的な脚本に沿って土地本来の森を守り、また再生して、少し我慢しながらでも森と共生していれば、その被害を最小限に止めることができる、と常に私は口にしていた。科学者は自分の発言と行動に責任を持たなくてはならない。もしこの震災で、すべての土地本来の木、潜在自然植生の主木までもがダメになっていたら責任問題だと覚悟した。
 ボルネオから帰国して、さっそく神戸市の現場に入ろうとしたがとても入れない。あちらこちらとお願いして、ようやく当時の清水建設の環境部長をされていた方の協力を得ることができ、横浜国立大学の藤原一繪教授たちと関西国際空港からヘリコプターで現地に入ることができた。地震が発生して一〇日目のことであった。
 空から見た神戸はまだ一部からけむりが出ていた。神戸の惨状は子どものころに体験した、あの第二次世界大戦の空襲の焼け跡と同じ状態で、どこも赤茶けて崩れた悲惨なものであった。
 ヘリは何とか海岸沿いの防波堤の空地に着陸したが、いわゆる液状化現象を起こし、防波堤のセメントが上につきだしたようになっていた。それまでNHKなどのマスコミの案内をしていたというタクシーをチャーターして、ドライバーに説明してもらいながら災害後でも通れるところを選んで進んだ。長田区などでは柱や鉄筋が倒れて、ほぼ完全に赤茶色の瓦礫と化した悲惨な状態に陥っていた。そして古い神戸市役所のビルはもちろん、最新の技術によってつくられたはずの高速道路や陸橋や新幹線も半壊、または全壊し、鉄筋がぶら下がった状態で、木造の住宅はほとんど燃えつきて灰塵と化していた。
 しかしよく見ると、小さな公園の周りの樹林で囲まれているところには救急車両が止まっていて、一時的な市民の逃げ場所になっていた。神戸の平地の潜在自然植生であるアラカシ、ヤブツバキ、シロダモなどの主木群や潜在自然植生が許容するクスノキなどの常緑広葉樹のところに幅二mの小道がある。火はそこで止められていて、道を挟んだ向かいのマンションは無事であった。
 さらに神社の鳥居は傾いていたが、われわれの祖先が知ってか知らずに植えたふるさとの木によるふるさとの森である鎮守の森、土地本来の常緑広葉樹林はもとの状態を保っている。また古くから植えられているクスノキの並木も、近くのニセアカシアなど外来の落葉樹が倒れたり折れたりしている中で、しっかりと生き残っていた。
 ついでわれわれは、六甲山の麓の高級住宅街はどのようになっているかと思い、歩いて上がってみた。一九七〇年代に神戸市の依頼で六甲山を調査したときはまさに廃山のような状態で、土砂崩れが頻繁に起こり、植えられている樹木は根の浅いアカマツなどが多かった。そこで私は、とくに住宅がはりついている山の麓の周りに、シイ、タブ、カシ類などの照葉樹を残すべきであると提案していた。その案に乗ってくれたからであろうか、古い住宅街には土地本来の照葉樹のアラカシ、シラカシ、ウラジロガシ、スダジイ、ヤマモモ、シロダモ、モチノキなどの屋敷林があった。深根性・直根性のこれらの常緑林があったためだろうか、一部の草地を除いて崩壊していない。火も入ることなく、ちゃんと無事で残っていた。
 本物の木は厳しい条件でこそ本領を発揮するといわれている。同じような緑であっても、まさに火事や地震のときに、どれが土地本来の森であるかが示される。恰好はよくても、台風や地震、火事に対して、あっけなく崩壊するニセモノとの差をまざまざと見せつけられた。場所によって地質の違いがあったとしても、土地本来の森の主な樹種は、われわれの調査した結果では一本も枯れていなかった。


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