潔 ノ 森

2006年04月24日(月)

覚書 (自分自身への審問 辺見 庸 著より)

オンライン・ネットワークで資金を次から次に移動させて収益をあげる方法は情報技術革命の産物でもありますが、旧型の資本家はこれについていけないということから若い起業家らのマネーゲームに眉を顰めるのでしょう。マネーゲームを「虚」、実体経済を「実」とすれば、虚実の闘いがはじまっているわけですが、資本の運動のアナーキーな本質からして、ぼくは「虚」の勢いが衰えるということはないと思います。ただし、マネーゲームの花園には悪の華しか咲かない。もっといえば、あらゆる市場には芥子のような花しか咲かないということです。旧型の資本家や国家権力はマネーゲームのルール違反を摘発すれば市場のモラルを維持できると考えているかもしれませんが、市場にはもともと言葉の本質的な意味でのモラルなんかあったためしがない。たとえば、証券取引法違反を摘発すれば市場が健全化すると本気で考えるとしたら、賭場の存在そのものを問わずに丁半博打や盆ふりのやりかたを云々するようなものであり、根源的な議論とはいえません。実際、マネーの取り引きがモノの動きの百倍もあること自体、世界規模の巨大な犯罪みたいなものです。これを停止することは高度資本主義の自殺を意味しますから断じてありえない。代わりに、一部のルール違反者を摘発したりして市場にモラルが貫徹しているような体裁をとる。資本主義の延命のために。しかし、ここにはいずれにせよ悪の華しか咲きようがありません。虚の花の狂い咲き。














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