覚書 (自分自身への審問 辺見 庸 著より)
根源の恥辱 爛熟した資本主義のシステムはそこに生きる者に人間的恥辱をそれとして感じさせないか、あるいはちょっと感じたふりをさせるだけの「擬似感覚細胞」をかぎりなく増殖させていくとぼくは見ています。これは"恥知らず細胞"と呼んでもいいかもしれません。この前、世界的に有数の企業のトップが、いま必要なのは誠実や勤勉ということではなく、眼に見える業務成果なのだ、という意味のことを何憚らず語っていました。それをテレビで見ながら、ぼくは「人間の魂の奥深くまで、善と悪は入れ替わり、ひそかな妥協を交わす」というボードリヤールの言葉を想い出しましたが、求められているのは人の一般的徳目ではなく経済成果のみだということは、先人たちの悲観的な予言どおりなのかもしれません。
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