久しぶりに書く 25日の朝刊に養老先生の投稿をみつける。丸ごと書いてみるははは。
「石油文明から脱却を」 温暖化は人類全体の問題 国連の「気候変動に関する政府間パネル」の報告書が出て、地球温暖化に 関する記事が増えた。温暖化そのものは、自然界のさまざまの異変を通じ て、多くの人は身近な問題として気がついているであろう。 たとえば春についていうならば、ここ二年は花冷えがひどく、 虫の出が遅い。箱根では四月に雪が降り、冬の間は白くなかった山が 白くなった。それなら寒冷化だ。そう思う人がいるかもしれない。 そうではなくて、全体として温暖化しているのである。 温暖化すると気候の変化が激しくなる。温度が一〇度高くなれば、 化学反応なら速度が倍になる。フランスではこの春、一部の地方で ひょうが大量に降った。気温は二十六度だったそうである。 現在の温暖化が人為的かどうか、意見が分かれるところだ。 しかし国連では人為的だという意見が主体を占めた。温暖化自体には まず疑いの余地がない。それならあとは原因だが、二酸化炭素による 温暖効果以外にいまのところ有効な説明がない。 そこへ今度はアル・ゴアの「不都合な真実」という本が出た。 ゴアはクリントン政権の副大統領だった。ゴアは温暖化は人為的だと 断定する。さらにブッシュ政権が、温暖化は人為的だとみる意見に 検閲を加え、押さえ込んだ事情を暴露した。温暖化問題はアメリカの 政治問題になった。
石油政権 現ブッシュ政権は要するに石油政権である。 ブッシュ家はテキサスの出身で、副大統領のチェイニ−は石油会社の 重役だった。イラク戦争は石油確保のための戦争であって、「テロに 対する正義の戦い」なんて標語にすぎない。私はそう思っている。 ずいぶん都合のいいときに9・11が起きたものだ。そうも思って いるのである。とはいえ私は、温暖化問題を政治問題にすべきでは ないと思っている。ブッシュ政権のように、言論を統制するのも 論外である。なぜなら温暖化問題は人類全体の問題であり、誰かに 都合が悪いからといって、事実を隠したりねじ曲げたりすべき性質の ことではないからである。二酸化炭素についていうなら、アメリカは 世界の四分の一を放出している。次は中国、EU、ロシアの順である。 日本は五%に満たない。その意味では日本がこの問題で具体的に いくら努力しても、精神運動の域を出ない。国連がいうように 「二〇五〇年までに温室効果ガス排出を半減する」のにいちばん 重要な国々は、すでに挙げたとおりの順序である。 もちろん一人当たりということになれば計算は違ってくる。 でもともあれ地球上のガス全体の問題だから、絶対値は無視できない。 日本が一人頭で五〇年までに半減可能かというなら、私は可能だと 思っている。しかし日本だけでは意味がない。これこそまさに 国際問題なのである。
人はやすきにつく この問題の根本はアメリカ文明だということは明白である。 アメリカほど石油に強く依存している文明はない。石油に限らない。 高エネルギー消費文明といっていいであろう。それを主として支えたのが 石油だった。その石油が二面から終焉が見えてきた。一つは実際に石油が なくなるという埋蔵量問題であり、もう一つが二酸化炭素による温暖化 問題である。この二つの問題をどう解決するか、大げさにいうなら、 そこに現代文明の未来がかかっている。ここで代替エネルギーを考える 人もあろう。十分に論じる余裕がないが、それはダメだと私は考えている。 代替エネルギーが現実にないというだけではない。もはや高エネルギー 消費文明を許すべきではない。私はそう思っている。なぜなら、 エネルギー消費は、結局は人間の質を落とすからである。 つい人は「やすきにつく」からである。 自分の身近なものごとを考えてみても、それは明らかであろう。 昔の人が楽にできたことが、今の人にはできない。たとえば、 田舎で暮らせないからと、過疎地ができる。では昔の人はどうして 暮らしていたのか。 いつの時代でも、根本はモノでなく、人なのである。
|