カラジ風味

2003年11月02日(日) 文化は≪接ぎ木≫不可

子供とは如何なる存在か 長々語ってきたが
今日は 文化は接ぎ木出来ない ことを話しておこう
「文化」は接ぎ木出来ない「文明」は部分部分でその便利に応じて
導入する事も出来ようが「文化」はそうはいかない 
良い所だけを輸入しょう などという小賢しい試みは決して巧く
いかないのである
民主主義なる冷酷非情な仕組みを本気で子供に移植しょうと試み
たければその周辺環境も含めて導入する必要がある 
若し それが可能であり実際成功したとすれば 
そこには「日本の子供らしさ」と言った
不定形の壊れ易いもの 
即ち 日本の文化 そのものは一切消え失せているに違いない 
我々の先祖が営々と築いてきた日本文化の美しさは未来永劫に
渡って失われすべてに「目新しさ」と「便利さ」が優先され
それ以外何ら誇る所の無い「コンビニ国家」に落ちぶれるだろう
言うまでもなく欧米で成功した手法がそのまま我が国で通用する
場合もあればそうでない場合もある 
世界の国のそれぞれに得意とする
考え方 生き方 暮し方が存在するのである 
如何なる外圧があろうが文化の独自性だけは護らねばならない
況してや それを自ら塵屑の如く捨て去って
無定形に追随すれば二番煎じの不出来な「コピー国家」として
世界の物笑いの種になるだけだろう 
他国に「世界標準」とやらを強制する存在がその逆にどれほど神経質で
あるか 我々はこの点に静かに注目しなくてはならない
協調と迎合は違う 
個人に於いても民族に於いても迎合者は常に軽蔑されるものである

いい機会だから 
文化についても語ってみるか カラジ
そうですね コーチ
文化薫る国 生き方とはどんなんでしょうね


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