和裁は、とんと暗い なす子です。 祖母は和裁の仕立てをして収入を得ていました。 大正時代に女学校に行っていた人ですから、職業婦人のはしりだと思います。
私の記憶の中の祖母は 「裁ち板」に向かっていて いつも縫い物をしていました。
「けんちょうき」がいつも立っていて しゅっ、しゅっ という絹を引く音が美しくて 近寄りがたかったものです。 ごくたまに、足踏みミシンを踏んでいたような おぼろげな記憶もあります。
私は祖母の部屋にあるそのミシンの美しいボディラインに魅せられていました。 ねだって、ねだって六才でミシンを踏ませてもらいました。 祖母のミシンはブラザー製でした。
今、子供の甚平を ウキウキした気軽な気持ちで縫っています。 眉間にちょっとシワを寄せているイメージの祖母(故人です) が この姿を見たら、"軽い気持ちで縫いおって" と ものさしでパシっとやられそうです。
そんな私ですが、すこーーし気付いたんだよねぇ、おばあちゃん。
洋裁とは違う、衿の付け方。 何故裏から付けるのだろう・・と。 とにかく和裁の知識が皆無なので、本のとおりにプロセスを踏みます。 そしてちょっと気付いたの。
身頃の裏から衿を付けて、上がり線でプレスする。 なんで裏から?・・洋裁とは違う・・と思いながら。
おっ 余分な「足」が出ません。 そして表に出た衿をミシンで叩きます。 洋裁の衿付けと、ほぼ反対のやり方です。
表衿コバステッチによる「足」は、表に出ますが裏は あくまでも平ら。 素肌に当たる「布の足」が、ないのです。
そもそも "ひも" だけで着る「きもの」は、どんな体型の人でも 「衣装が人に合わせてくれる」んだよね。 どんな人にも合う「くるみもの」なのに、 着心地に優しく心を砕いている。懐の深い文化だなぁと思います。
洋服は「着る人に合わせた一着を作る」事に重きを置いています。 オートクチュールしかり。着る人、その ただ一人に合わせて作るから 着心地が良いのは当たり前なのです、というのが洋裁の心得。 そして「畳まない」。ハンガーに掛けて、収納します。 ブラウスもコートもドレスも。
着物は お腰、襦袢、訪問着、道行き、みんな畳んで収納します。 紐も、帯も、なにもかも。 しかも美しく畳める。 こんな私が縫ったじんべいでさえ、上がり線に沿うだけで畳めます。
相反するとは言いたくないし、東西両方好きです、 そして東西の個性は 21世紀にも息づいているんだなぁと思います。
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