東行庵の軒下で

2002年04月10日(水) 戦記

もうかれこれ半年ぐらい、部屋の掃除をしている。
途中で掃除に整理整頓がつき、最近では模様替えまでついてバージョンアップをはかってしまっている。そう、現在進行形。ここまでくるともう、ライフワークにするしか・・・弟�気板鎰兇�らの冷たい視線が来たので、今年の抱負ということにする。
「カーペットの見える部屋にする」

どうしてこんなに要領悪いんだろう??
その原因はすでに明白。
懐かしいものに心奪われてしまうのだ。

大きな封筒に入っているこれは何?と、中を見ると、いつぞやの某工業高校・修学旅行・引率のバイトの時の傷病記録だった。

救護の仕事で、薬箱抱えてさ。
そうそう。スキー行って、京都の見学で締める旅行日程に、案の定、京都では熱発(発熱)者のオンパレード。
解熱剤が乱れ飛び、病院点滴組も出る始末。
5階建てのホテルで、エレベーターは一つ。しかも、4階から5階に上がる階段はヘンピなところにあって(無理やりの建て増しなのかなぁ)さ。

生徒の名前と病状、処置の内容とか書きながら、体温計配って薬を飲ませて、スキーのときに捻挫した生徒のシップを貼り、座薬を使ったことの無い男子生徒に、懇切丁寧に・・・教えてあげたの。挿入の仕方を^^ムフッ。

はいはい。教えただけですよ〜〜だ。そんなにジェラシーの炎をたぎらせない、たぎらせない。

とにかく、200〜250人ぐらい生徒がいて(ほとんど男子)のべ100人くらい看たなぁ。

隣り合った部屋、同じ階の部屋の生徒が一斉に症状を出す訳じゃないから、3Fに行く途中、「5Fで熱発者が出ました〜」と生徒にいわれ、はいはいと思って3Fにたどり着き体温を測ってると、今度は「4Fで腹痛者が発生です〜」といわれ、あれ?熱発は何階だったっけ??なんてことになる。
その走り書きメモたるや、スパイの容疑をかけられそうなくらいの文章と文字。

最後に、学校と旅行代理店にFAXで送った傷病記録の清書が綴じてあった。

もうそれは、私にとっての戦いの記録である。いや、マジで。

忙しかったけど、ご飯食べる暇なかったけど、そのときに生徒と写った写真の表情は、いつもよりもずっと明るかった。

そのことを思い出しながら、今日も一日、日が暮れてしまった。トホホ。







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