おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
なにをいわんや。
世間体にとらわれて言いたいことを言えないとか、喧嘩できないとか、つきあいたくない人ともつきあうとか、確かに世間体を中心に生きていたら不自由だろう。 だが、言いたいことを言わないのは、それを言ったら面倒なことになるとわかっているからだ。できないのではなく、できるがしないのである。言わなくてはならないこともあるが、言ってわからない人、あるいは受け付けてもらえない人に言っても仕方がない。喧嘩ができたり、言いたい放題だからといって、自由なのかと言ったら必ずしもそうではない。そうすることによって、自分が不自由することだってある。 自分ひとりで生きているわけではない。好き嫌いに関係なく、付き合いだって必要だ。こいつ変人だ、と思われたら、まず、まともに相手にされない。本人が気にしないなら、好きにしたらいいのだが――。 行きたいところにいき、食べたいものを食べ、好きな人と時間を過ごすのはいいけど、それは元気な人の言い分だ。体が思うように動かず、食欲がなかったり、あるいは食事制限があったりしたら、そうはいかないのだ。 好きな人がいない人はどうすればいいのか? 自分に正直に、というのもわかるが、何のことを自分といっているのかということもある。それによってまったく内容が異なる。それに、自分に正直であることとワガママなことは違う。自分は自分だし、他人は他人であるのだが、それでも人間であるということだけは共通している。自分と他人とを完全に切り離すことはできない。もういちど言うが、自分ひとりで生きているわけではない。 要するに、ミソもクソも一緒にしていて、何かわかっているわけでは全然ない。あのようなものを真に受けるとは、恐ろしいほどに何もわかっていないのだなと思う。 わかってくればくるほど、口が重くなるものだ。わかっているかのごとく調子よくペラペラしゃべる奴など、信用するに値しない。
おおみち礼治
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