おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
●言葉
しゃべり場という番組で、「身体障害者」という言葉はやめようぜ、という議論(?)が行われていた。 こころがチクチク痛みますな。 だから、ちらっと見ただけで内容は分からない。が、たまに感じることと一致することがあった。問題というか、当事者――身体障害者本人が「身体障害者」と呼ばれることに苦痛を感じるのならば、おそらくはその言葉に潜む悪意を感じ取っているからであって、言葉そのものに罪はないと思うのだよね。 アメリカあたりでは、身体障害者を指して「チャレンジド」というそうだ。チャレンジする人、ですね。 しかし、そのような言葉に切り替えても、人の意識に悪意や蔑視が混ざるなら意味がない。チャレンジドとするならそれはそれでいいが、そうなったらなったで、今度は「身体障害者」という言葉が差別語となりうる。 言葉に縛られすぎなのだ。 それと、もうひとつは、世の中には本当にいろいろな人がいるから、せせら笑うように指さす人はなくならない。それをいちいちとらえて怒っていてもしょうがない。そういうその人がそういう人なんだな、というだけのことだ。 不愉快なのはそうだが、世の中というか、人生に不愉快は「よくあること」である。不愉快をなくすのではなく、不愉快にどう対応していくのかを覚えたほうが実際的だ。不愉快があるから愉快もあるのだしね。 ただ、そう達観しているばかりもいられない。たまには、瞋恚の炎を燃やして声を上げなくては、悪意だけでなく、たとえば冷たい無関心さでもって人を排除していくような――それの何がいけないのか、自分が何をしているのかも分からない馬鹿者をはねのけられず、理解も広がらず、つぶされてしまいかねない。 まあ、そういうことになる前に、すーっと理解していってもらうのがベストだけどね。
おおみち礼治
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